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俳句 読書

朝ごはんとか俳句とか。

まだ暗い。カラスが大きな声で鳴いている。今日はスッキリ晴れるみたい。

朝ごはんが大好き、ということを何度か書いたことがある。堀井和子は『ぱっちり、朝ごはん』(河出文庫)に「1日3食、朝ごはんでもいい!」と書いている。「私も!」と一瞬手をあげそうになったが最近の私は朝ごはんにあまり力をいれていない。早朝に「つくおき」をするせいでそれをちょっとつまんでしまいむしろ夜ごはんっぽくなっている。あんなに大好きだった私の朝ごはんはどこへ行ってしまったのだろう。

「私は1日3食、朝ごはんを食べてもいいくらい朝ごはんが好きで、夜は明日の朝ごはんを楽しみにして寝る。」

と堀井和子はいう。わかる。私も同じことを言っていた。かつては。とはいえ、堀井和子の場合、パンは自分で焼いているし、記憶に残っているのは南仏だし、とっても素敵な感じで私の朝ごはんとはだいぶ違う。それでも私は朝ごはんを楽しみに寝ていた毎日を取り戻したい、というのも食卓に置きっぱなしにしていたこの本をパラパラしたから思っただけではあるけれど。

この前、橋本多佳子の句集で

雪しまきわが喪の髪はみだれたり 橋本多佳子

という句を見つけて「雪しまき、カックイイ!」と思って一句作ってみたがどうひっくり返してみてもぼやんとした句にしかならなかった。その後、岸本尚毅が朝日新聞に書いていた記事を読み写生についてちょびっと考え「雪しまき」なんて雪国で生活したこともない私には使えない季語なんだからカックイイとかで作ってはならぬ、と別の句にした。我ながら単純だが反省したらすぐに実行すべし。体験が言葉を強くすることは毎日体験中だもの。

週末は数年ぶりに一年一回の会が復活する予定。コロナの間に変わったこと変わってないことなんであれ再び共有できることの幸せを噛み締めたい。良い週末に向けてがんばろう。

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イベント 読書

朝ごはん本、松谷武判展

ぼんやり。空の白みが増している。あと一ヶ月で冬至か。急に寒くなった。こうなるのではないか、と思っていたが今年はいつもより身体のメンテナンスをしているから大丈夫なのでは、と思っていたわけでもないがやっぱりダメだった。必要なこと以外ほぼしなくなる。紅茶とお菓子を手にする前に河出文庫『ぱっちり、朝ごはん』を手にとった。黄色の表紙に目玉焼きとハムとトマトとレタスとブロッコリーが載ったお皿が描いてある。ざ、朝ごはん。山崎まどかさんが西荻窪の「こけし屋」の朝市のことを書いていた。懐かしい。憧れの朝市だったが一度も行けないまま店は閉じた。「こけし屋」のモーニングには何回か行ったことがある。西荻窪でコンサルテーションの仕事があるときは毎回それを楽しみにしていた。この本はいろん人が思い思いに朝ごはんについて語っている大変魅力的な本だがこれを読んでもおなかはいっぱいにはならない。今日の私はこれを読んだらなおさらおなかがすいた、さあ、朝ごはん!という気分にもならない。とりあえず暖かいところでじっとしていたい。

オフィスの最寄りは京王新線の初台駅というところでバレエや音楽会などが開かれる新国立劇場がある。私のオフィスは東口で劇場に併設するオペラシティと呼ばれるビルが近い。オペラシティにはカフェやレストランや銀行などがある。あ、そうだ。昨日振り込みに行ったのに別の店へ寄ったら忘れてオフィスへ帰ってきてしまったので今日こそいかねば。それはともかく、今3階のアートギャラリーで「松谷武判 Takesada Matsutani」展をやっている。このギャラリーは良い展示が多く、なによりオフィスから近いのが素晴らしく今回も行った。予想していたよりずっとインパクトが強く、唇と乳房とペニスをひたすら連想させるような膨らんだりめくれたりしているものたちは生々しさはなく、解剖学的だったり、水墨画のようだったり、こういう多彩さもあるのか、と大変面白かった。このギャラリーは広くないので途中で疲れることもなく、結構話題の展示でも平日の変な時間に行く私は混雑に出会ったことはなく、今回も一つのスペースに一人でいられる時間が長くひたすら作品と一緒にいて大変満足した。平面にはできないこの展示をひたすら写真に撮るのも楽しかった。やっぱ写真には、と確認しながら写真でも悪くないか、と思ったり。次回の展示も面白そう。寒くても通り道なら行く気にもなる、きっと。

昨日はメルツァーを通してフロイトを読んでいた。少ししか読めていないが再読なので発見があった。今日も少し読もう。良い一日になりますように。