今朝はつくばのコート・ダジュールのエンガディーン。このお菓子ってエンガディネとかアンガディネとか少しずつ呼び方が違うけどエンガディーンははじめて聞いた。ロボットの名前みたいでかわいい。ライディーンみたいな。ライディーン、よく知らないけど。サブレ生地はいつも美味しい。キャラメルがベタベタしすぎないでいい感じ。美味しい。くるみの苦い部分が当たってしまった。喉が苦い。紅茶で中和。やっぱりお菓子はティーとね。「それにつけてもおやつはカール」のリズムで歌おうとしたら合わなかった。「やっぱり」ではなくて「それにつけても」だった。「それにつけても」にした人すごいな。軽やかさが違う。今は関西以西でしか買えない、ということは関東よりこっちの子供たちはカールを知らない世代になるのか。奄美大島の地元スーパーで久しぶりに見かけたよ、おじさん、とか書いても「は?おじさん?カールおじさん?だれそれ」とか言われるのかな。あのかわいいおじさんを思い浮かべてもらうような説明ができるかしら。「カールの精」とか言ったら絶対あの姿にはならないし。歴代CMかわいいな(思わず見てしまった)。前に日本語も片言の英語も通じない人と面接をしたときにお互い絵で伝えようとしたのだけど私のが下手すぎていっぱい困って泣いている患者さんを苦笑いさせてしまったことがあった。カルテ情報もあったからだけどなんとなく色々お話しして終わった感じになったけど。精神病院での仕事はものすごく忙しかったけど日常の言葉の世界とは別の基準で動いていたと思う。クリニックもいくつか経験しているけど医師に「言葉は難しいかもしれません」と言われて依頼される場合が何度かあった。これにはいろんな意味が含まれるのだけどこっちも「はい。とりあえずお会いしてみますね」と普通に受けていた。社会的に通じる通じない、わかるわからないの基準ではない関わりが臨床には溢れてる。精神分析だって言葉言葉言葉みたいに思われるかもしれないけど、というか実際にそうなのだけどその言葉が通じる通じない、わかるわからないの基準で使われているかというとむしろ「わからない」が出発点になる。これは体験でしかわからないから説明できないけど興味深いものです。あ、日本精神分析協会第42回学術大会(2024年6月8日〜9日)の案内が出ました。今年度は協会に所属していない臨床家のみなさんにも開かれた大会になるのでぜひいらしてください。私は候補生としての登壇はこれが最後かな。最後だといいな。5月の登壇が言語的には一番不安だけど「言語の問題にこだわらないで、私たちは臨床家だよ」というのが共有されているのはありがたい。このことはさっき書いた言葉が通じる通じない、わかるわからないという水準とは異なる使用をされていることの延長。臨床の言葉というのは本当に興味深いしいろんなことを教えてくれます。今日もなんとかがんばろう。
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