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精神分析

衰えつつ学びつつ

パイナップルを切った。ジューシー。昔は苦手だった果物。多分、缶詰の印象が強いのだと思う。シロップものはなんでも苦手だったから。今回は丸ごと一個もらったのだけど美味しいねえ。ありがたや。

定期的にトレーナーさんに鍛えてもらってるのだけど体幹の強さを褒められて嬉しい。でも柔軟性とバランスが苦手。この前、びっくりしたのは平均台に乗るように脚を前後して目を瞑ると長時間立っていられない。これ、車酔いとか眩暈とかの予防になるようなんだけど「目からの情報に頼ってるから」と言われて私の場合は本当にそうだなあと思った。肩甲骨を動かすとかも最初は全く感覚がわからなくて先生に動かす部位を触れてもらいながら動きを手伝ってもらってもどうしても肩を張ってしまったり肘を変なふうに使ってしまってた。でも鏡で姿勢を細かく見ながらやっていたら身体感覚としてはわからなくても形を整えようとする意識で「あ、こうかも」とわかってきた。今はようやく鏡を見なくても脳から指示がいくようになった感じ。足首もすこーしずつ柔かくなって横スクワットもやっときれいにできるようになった。これまでなんでも大きい筋肉使ってなんとなく形でやってきたから筋トレの本質がわかっていなかったことがよくわかった。筋力をバランスよく使えると形もきれいになるしスッと動ける感じが自分でもわかる。できていないときはどこかしらに違和感がでる。そういう細かいことに意識が向くようになったのはよかった。落ち着きないと怪我も多いから大変。若い頃はそれこそ力技と体力でどうにかなってたけどもう還暦見据えてるからね。脳機能のためにもバランス感覚の運動は自分でもやっていこう。

衰えゆきつつも新しいことを学び続けているわけでこれは年の功というか、学ぶ姿勢はいい加減身についているのだねえ。新しいことといっても今更精神分析から離れる暇もないのでラカンとかだけど。ラカン学ぶには結局哲学書も読むけどこれは今までも趣味で読んできてるから楽しい。最近は

Jacques Lacan, Ecrits: The First Complete Edition in English, Translated by Bruce Fink in Collaboration with Héloise Fink and Russell Griggから

La direction de la cure et les principes de son pouvoir, in: Écrits, pp. 585-645.をブルース・フィンク『「エクリ」を読む 文字に添って』(人文書院)と一緒に読んでいた。

1958年7月10日から3日間の国際会議で話された報告の原稿(かな?)。ちょうど66年前ですね。出版は1961年、La Psychanalyse, vol. 6。『エクリ』は1966年。フランス語だったらネットで見られるのだけど英語でも超超地道。私のReading Freudに出ていた人はこの論文も読めるよ。『夢解釈』をきっちり読んだから。ラカンのおかげでフロイトを読むのはもっと楽しくなった。そしてこの論文はとても臨床的。治療者自身の姿勢、特にIPA所属の私には意識すべき指摘もたくさん。この前、小さな症例検討会で「最近ラカン読んでるんだけど」と「自我の強さ」についてラカンが書いていることを話してみたら「なるほどねえ」となった。私たちは小此木先生や深津先生、中村先生から自我心理学を中心に教わってきた世代だから「自我」をなんとなくわかったものとして扱いがちな気がする。でもラカンがクリスを読み込んでいたりアメリカ自我心理学の大家を批判しているのを読むとやっぱりフロイトに戻って考え直さないとな、と思う。技法につながってくるから。こうやって行きつ戻りつしながら一生を終えていくのだねえ。相手が巨大だとこっちは最後まで道なかばのまま。でも大事だからやりましょう。シニフィアン。シニフィエよりシニフィアン。今日はなんかお天気荒れるらしい。嫌ね。気をつけて過ごしましょう。