オレンジ色のメロンとショコラオランジュのマカロン。最近のマカロンは美味しい。流行りはじめた時期は苦手だった。マカロン型の小物はかわいくて好きだった。
この前、ジャズ界の作編曲家のマリア・シュナイダー Maria Schneiderのインタビューで彼女がデヴィッド・ボウイDavid Bowieに見出されてロックとジャズを融合したと知ってDavid Bowieをずっと聴いていた。今は1977年のアルバム『LOW』のB面だった(1991年CD化)「Warszawa(ワルシャワの幻想)」を聴いている。ブライアン・イーノBrian Enoとの共作。プロデューサーはトニー・ヴィスコンティTony Visconti。こういう情報ってサブスクだと調べにくい。昔は聴きながらレコードとかCDジャケットとか飽かずに眺めていたから自然に入ってきたけど、今ボウイを聴くとなるとほとんどリマスター版だからクレジットに発売年が書かれていない。Spotifyだからかもしれないけど。それにしてもこの曲は特殊というかブライアン・イーノと聞けばなるほどとなるけど当時はびっくりされたわけでしょう。マリア・シュナイダーもそうだけどミュージシャンたちはみんな自分の音を常に求めていて、そのためには相手が絶対に必要で、その人そのものよりその人の音に反応する。もちろんその人の音はその人そのものを表してもいるわけだけど人としての現れで考えると色々難しいよね。精神分析でいう部分対象と全体対象の関係ではないわけだから。もっとミクロな部分を捉えて反応していくしかたは同じだけどその前提にすごく主体的な自分がいて、その自分を変えていける人がそれに成功しているのだと思う。もちろん有名な人たちにはそういう人が多い気がするというだけでこのあり方の方が優れているとかそういう話ではないわけ。だって一人でそんなふうになれないという時点でいろんなものはみんなのものでしょう。ジャズの歴史を知ると特にそう思う。環境が整わなくても小さな頃に本物と言われるジャズと出会うチャンスがあったり、日本ではきいたことがない種まきがたくさん行われている。やりたいやりたくない以前に「これいいな!」と思えるものがたくさんできると楽しいよね、とりあえず。詳しくなくたってなんだって自由に語れる場がたくさんある環境もいいよね。なんかすぐバカにしたような態度とる大人が多いのはよくないでしょう。ムカつくよね。子供が大人をバカにするのもよくないけど大人は教育できる立場にいるわけだし、それはどうにかがんばろう。ボウイあるいはボウイの曲みたいに力をくれる存在にみんな何かしら出会えるといいと思う。今日も良い1日でありますように。