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精神分析

オグデンを少し読む朝。

夜明け。水色の空。夏至から1ヶ月。日の出も少しずつ遅くなっているとはいえ4時台にはすでに明るい。昨晩は豪雨で大変だった様子。帰ってきた頃はまだ雷もうっすらで雨もそんなに降っていなかったのだけど。目黒川と妙正寺川が警戒レベルだった時間もあったみたいだけど大丈夫でしたでしょうか。友達とワンコが雷怖がってるだろうから早く帰ってあげないと話したりしてたのだだけど大丈夫だったかしら。ハリケーンで飛んできた亀を飼った話とかも面白かったな。私が日々亀を愛でているのは多分学校にいけない子の家庭教師をしていたときにそのうちの亀と仲良くなったからだろうな。金魚も人に懐くらしいけどそれは餌付けというやつでは。そんなこといったら人間もそうか。美味しいお菓子に日々つられている私としては。昨日もとってもかわいい季節のお菓子をもらってしまった。「ふきよせ ほたる狩り」だって。世の中にはなんでこんなにかわいいお菓子が多いのだろう。あら、新宿区が警戒レベル3相当、というお知らせが来たのだけどどの川?川の名前が書いていないし旧玉川上水はすでに川じゃないし近いのはどこだろう。神田川か?お隣ではある。つい最近下水道の工事をやっていると中野区在住の人に聞いて、神田川って排水のための工事すごい大規模にしてたイメージがあるけどまだやってるのか、と思ったばかりだった。うーん。全国どこもかしこも被害が出ないといいなあ。

最近、IPAが出しているジャーナルを読んでいないなと思ってチェックしたらオグデン(Thomas H. Ogden)の論文が最初に出ていた。

Rethinking the concepts of the unconscious and analytic time。無意識と分析的時間の概念の再考。

Ogden, T. H. (2024) Rethinking the Concepts of the Unconscious and Analytic Time. The International Journal of Psychoanalysis 105:279-291

無意識と分析的時間の概念を再考する論文らしい。引用文献を見る限り、私の一番好きなオグデンという感じ。フロイトの引用は以下のこれら。

Freud, S.1900. “The Interpretation of Dreams.” SE 4/5.フロイト『夢解釈』フロイト全集4、5(岩波書店)

Freud, S.1914. “The Unconscious.” SE 14.フロイト「無意識』フロイト全集14(岩波書店)あるいは「メタサイコロジー論」(講談社学術文庫)

Freud, S.1915. “The Unconscious.” SE 14.あれ?なんで「無意識」論文二つ?こっちがあっているのでは。あれ1915年のはず。あとでチェック。

Freud, S.1918. “From the History of an Infantile Neurosis.” SE 17.フロイト「ある幼児神経症の病歴より」フロイト技法論集(岩崎学術出版社)

オグデンはここで単にrethinkingをするわけではなくてその方法について書くらしい。

最初が早速フロイト「無意識」論文からの引用。これ1915年になってるから間違いかな。でも校正で気づくだろうからこのあと1914年のも出てきたりするのかな。オグデンはこの論文の以下の部分を引用してフロイトが無意識の存在を“incontrovertible” と書いたところを取り上げる。こういうのがオグデンの手法だなあと思う。引用されているのはこちら。

A gain in meaning is a perfectly justifiable ground for going beyond the limits of direct experience [to justify acceptance of the existence of the unconscious mind]. When, in addition, it turns out that the assumption of there being an unconscious enables us to construct a successful procedure by which we can exert an effective influence upon the course of conscious processes [for example, psychoanalytic treatment], this success will have given us an incontrovertible proof of the existence of what we have assumed. (167)

この部分の十川幸司訳はこちら。

「ところで、意味および関連性において得るところがあるということは、私たちが直接経験を越えて踏み出すための十分に正当な動機となる。また、さらに無意識の仮定に基づいて、意識過程の経過に対して目的にかなった影響を及ぼすための手続きを構成することができたなら、その成功は私たちが仮定した無意識が存在する明白な証拠になるだろう。」

“incontrovertible”は「明白な」と訳されていてこれをあえて取り上げる気にはならないと思う。むしろこのあとの

「したがって、心の中で起きるすべてのことはまた意識にも知られているはずだと要求するのは根拠のない自惚れにほかならない、という立場に私たちは立たなくてはならないのである。」

の太線(本では傍点)の方が気になってしまうけどオグデンはやっぱりこっちじゃないんだ、という感じ。こういうのがワクワクオグデン、個人的には。

この論文ではこの「無意識」についての再考と、「無意識」論文でフロイトが「無意識系の諸過程は、無時間的である」と書いたようにdiachronic time (clock time) and synchronic time (dream time)、通時的な時間(時計の時間)と共時的な時間(夢の時間)について再考を行うらしく、我々はその方法を事例を通じて教えてもらうことになるのだな、という感じの論文らしい。今こうやってメモ的に書いておかないと何度も読み直すことになってしまうのが厄介だな。すぐ忘れてしまう。

ああ、朝に時間があるって素晴らしい。ところで昨日読んでいたのはeducation sectionで精神分析設定についての論文だったと思うのだけどそれはどこで見たのだろう。昨日はそこで中心的に引用されていたJosé BlegerのPsycho-Analysis of the Psycho-Analytic FrameをTwitterにメモしただけで、大元の論文をメモするのを忘れた。NHK俳句の時間だ。みよう。May,J.がゲストだー。歌える人は俳句も上手そう。雨やんだね。一気に晴れてきた。被害が出なかったならよいけど地盤緩んでるかもしれないから気をつけて過ごしましょう。