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精神分析

韻とかラットマンとか。

憧れのふとん乾燥機を購入した。Amazonから配達完了メールが写真つきで送られてきた。あれ?そこはうちではない!慌てて連絡。ことなきを得た。早朝、さてさてと取扱説明書を見たら見えない。老眼鏡をかけていても起きたては一番見えないからなと放置。そうか、とネット検索して使い方を確認。理解した。それからさっきの説明書にもう一度目をやる。さっきよりは見える。すでに情報が頭に入ってるから推測で読めてしまうというのもあるのだろう。それにしてもこの説明書、字が小さすぎる。さっきはこんなに目が悪くなってしまったのかと驚いたけど手元の『フロイト症例論集2』(岩崎学術出版社,2017)の文字と比べても半分くらいしかない。ほんとフォントはいくつなの?「ほんと」は単に韻を踏みたかっただけ。これやりだすと止まらない。私は身近になんでもラップにできる名人がいてほんと韻を踏むのがうまい。私みたいに韻さえ踏んでればいいという感じではなくきちんと意味を持たせてくるからすごいなと思う。きっと何するときもリズムで覚えてしまうのでしょうね。楽器も弾けるし。私はセンスも記憶力もないからな。語彙が増えない!それなんだっけ、とすぐになってしまう。韻を踏みたくなる性質とは異なる性質を身に付けるべきだった。

昨晩は私主催じゃないフロイト読書会でアドバイザー役。「鼠男」「ラットマン」と呼ばれる症例の論文「強迫神経症の一症例についての覚書(1909)を読み終わったのでその振り返り回。SE10(151-240),岩波全集10(177-271),岩崎『フロイト症例論集2』(2−98)。「病歴の抜粋」を混乱しつつ読んで、「理論編」はさっぱり。フロイトが後半を「理論編」と名付けたのは1924年。その前の年1923年に追加された脚注には

「ここに報告した分析治療によって患者は精神的健康を回復した。彼は、多くの他の前途有望な青年たちと同じように、世界大戦において命を落とした。」

とある。前にも書いたけど非公式ながら最初の国際的なコングレスがオーストリアのザルツブルグ(Salzburg, Austria)で開かれたのが1908年。フロイトはユングに臨床的な発表をと依頼しフロイトが選んだのがこの若きロシア人、ランツァーの症例だった。この発表は大変盛り上がり4、5時間に及んだらしいが記録は残っていないという。フロイトが脚注を書いたのは1923年だがランツァーが亡くなったのは1914年11月25日。第一次世界大戦の初期だった。戦争でフロイトはというか、フロイト派はshell-shock,戦争神経症と出会い、そこで精神分析的な方法を取り入れることになる。

いかん、別のことをはじめてしまった。もう時間がない。今日もがんばろう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生