アニメ『宇宙兄弟』(原作:小山宙哉)をみて寝不足。早朝に料理を作る習慣ができてしまい寝不足解消せず。習慣によって目覚ましいらず。料理は匂いや見た目や手触りなど色々な感覚を刺激してくるにも関わらず無心になれる。脳の働きが本を読んでいるときとは全く違うし、人と会っているときとはもっと違う。小さなスペースで積み重ねるプチ未知、プチ地道な作業が落ち着くのかもしれない。『宇宙兄弟』は茨城県つくば市にあるJAXA筑波宇宙センターでパネルを見たとき、いやもっとそれ以前、映画化されたときに読みたいなと思ったけどあっという間に10年とか過ぎるわけで・・・。映画化は2012年だって。アニメ版、面白かった。三次試験の終わりまでしか見てないけど。宇宙飛行士になるためにはものすごく強靭な身体とそれをバランスよく使える感性と知性、そしてそれらは良好な人間関係と繋がっているわけで、それらがどの程度普通とかけ離れたものかはよくわからないけど私には絶対になれないということははっきりとわかる。意識的には一度も憧れたことがない職業なのにJAXA関連施設があればなんでも行く。種子島宇宙センターにも一度は行ってみたい。沖縄宇宙通信所へも行った。なんなんだろう。最初からなれないものとわかっているから憧れたことがなかったことにしているのかもしれない。
室生犀星の有名な詩を思い出す。
きのふ いらつしつてください
きのふの今ごろいらつしつてください
そして昨日の顔にお逢ひください
わたくしは何時も昨日の中にゐますから
きのふのいまごろなら
あなたは何でもお出来になつた筈です
昭和34年8月15日発行の最後の詩集「昨日いらつしつて下さい」の一部を引用。犀星は「人間は死ぬまで美にあこがれている生き物」だと言った。だから書き続け、書く人であったことに感謝した。特別に好きな詩人ではないがスッと心に入ってくる。「ふるさとは遠くにありて思ふもの」は教科書で読んだ人も多いだろう。多分私も読んだ。「昨日」や「ふるさと」に何を見出すのも自由だがやはりそれはすでに過去で「そうであったはず」の世界なんだな。兎にも角にも今は今。今は朝。今はまだ朝。
室生犀星のこの詩集が出たのと同じ頃の映画について話したのを年代を見て思い出したのだけどなんだったか。当時はあり得かったSFの世界が今は現実になっていてビビる、という話だった。ありゃなんだったか、と思っていたらその友人からLINEがきた、今。面白いな、つながりは。お互い歳をとって自分に対して諦めると同時になんでも学びとして面白がれるようになってきた。力を抜いて今日も過ごそう。どうぞ良い1日を。