窓を開けた。気持ちいい。今朝は今のところまだ冷房をつけていない。数日前から朝に冷たい麦茶も欲しなくなっているが一応作っておく。今年も麦茶のパックを使い切らなかった。温かいのも飲めばいいのだが、温かい飲み物はいただくことも多くてわりといつも豊富なのだ。昨晩はアイスティーも作ってしまったので今朝はそれを飲む。いつからか氷を作る習慣をやめてしまったのもあまり冷たいのものを欲しないからなのかもしれない、と今思った。でも料理に使う時もあるしまた作ろうかな、とも今思った。
昨日、古い古いエアコンのフィルターを掃除して干しておいた。それをまた取り付けた。フィルターは部屋によって汚れ方が全然違う。その部屋にあるもの、窓の向きや大きさなどいろいろなものを改めて意識した。
天道虫と天道虫だましを見分ける自信がない。なんて突然言い出したのはめくったまま置いておいた俳句日めくりカレンダーの
天道虫だましの中の天道虫 高野素十
を読んだから。
5月28日の日めくりを3か月経っても堪能できるのは気持ちがまだ5月の頃のままだから、というわけでもなかろう。今年の夏は十分に過ごした。残暑もそろそろ終わっていい。それにしてもこの時期の俳句の小さきものたちへの眼差しがあたたかい。
5月26日 亀の子の泳ぎ始めし水の皺 山尾玉藻
日々、新宿中央公園の亀を愛でて過ごす私にも見えていたはずの景色がこんな一句になる。たしかに彼らの移動の後には水の皺ができる。彼らの作る水の皺は私たちの足跡と同じ。消えていくけど残ってる。
山尾玉藻は俳句結社「火星」主宰。創刊者である岡本圭岳、差知子の長女として生まれた。玉藻6歳の時の俳句が結社のウェブサイトに載っている。なんとなく気になってサイト内を読んでいたら山尾玉藻が父について語った文章も載っていた。圭岳より二回りも若く、前妻の二人の子供の育児も任された母親は苦労したらしい。母、差知子はこんな句も残している。
花の昏くれさみしさを子に見てとらる
ー句集『花筐』『岡本差知子句集』
色々と知ってから玉藻6歳の時の句を読むと少し切ない。しかし玉藻は家庭を顧みず俳句一筋に生きた父を明治の男という括り以上に俳句という文化を作ってきてくれた先達の一人として受け入れているようであり、彼女自身もまたその歴史を継承し、その語り部となっている。なにかに「なる」ということは過去よりも未来に向かう落ち着きを得ることなのかもしれない、と思った。
気温が上がってきた。そろそろ冷房をいれるか。
人の香に身をほどきけり秋の蛇 玉藻