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精神分析

秋、作家の仕事

キッチンに立っていると背中に涼しい風があたった。ようやくこういう季節がきたことに喜びを感じながらできたばかりの麦茶の鍋底を凍らせておいた保冷剤で冷やし始めた。鍋底の保冷剤に指を当てたつもりが直接鍋に触ってしまい熱かった。凍った冷たさとこういう熱さは同じだなと思った。私に与える効果が違うけど。どっちも火傷するわけだし。

昨日の朝日新聞に作家の星野智幸が寄稿していたのを読んだ。執筆の依頼を断るメールから文章は始まっていた。私はこういうのがとても苦手だ。最後の方に「文学の言葉」「究極の個人語」とありそこでもかなり冷めた。この作家のこの文章はすごい戦略的だなとちょっといやらしく感じたが新聞に寄稿するというのはそういうことなのだろうからその点ではとても面白いと思った。あくまで個人的なこととして傷ついたような、もう嫌になっちゃったよという徒労感を静かに滲ませながら決して閉塞も絶望していない強かさに作家はすごいなと思った。これはきっと多くの人を刺激するだろうと思った。私は「究極の個人語」という言葉に瞬間的な嫌悪感を抱いたがそれは私がそんなもんはないと思っているからだろう。しかもこの寄稿文のどこにそれが、と思った。張り詰めたやりとりにzoomで参加していた人が急に何か場をおさめるようなことを言ってこの場にいない人が何言ってんだよという空気になるあの感じを感じた。私の仕事は作家の仕事ではないんだな、とつくづく思う。精神分析場面で自分の言葉で話すことは必須だがそれは個人語を話すことでもましてや究極のなんていうものはない。言葉依存から抜け出すために言葉に依存せざるを得ない人間をどう生きていくかというお話。面白かった。

秋の果物がたくさん送られてきて冷蔵庫がとっても豊か。秋だ秋だ。台風の被害が出ませんように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生