桃を剥いた。まだクチュってなってないしっかりした桃で皮をゆっくり下にひっぱる必要があった。きれいに向けた。白い果肉に包丁を入れるときれいなピンクが現れた。いちじくの闇のような赤よりほんのり、と思ったら少しそれが濃くなったように思った。こんな早く変色するか?と思いつつきっとするのだろうと思って少し眺めたがすぐに啜った。こんなしっかりした桃でもいざ口に入れると啜るという表現がやはり合うように感じる。そして身体に入るとずっしり。
桃すする他のことには目もくれず 三代寿美代
少なくとも桃を啜っているときはこんな感じ。水分落とすまじ。落ちるけど。
私が愛する無花果にはこんな句がある、と8月30日の俳句日めくりカレンダーで知った。
無花果を喰み口中の闇ふやす 杉山久子
第2回芝不器男俳句新人賞受賞、杉山久子の句集『春の柩』からの一句だ。無花果の赤は桃のようはほんのりさを感じない。闇と調和する色。中のほろほろ加減もこちらが噛み付くからではなく向こうから流れ込んでくる感じ。大袈裟にいえば。結果、口の中に闇が増える。かといってその口から出てくる言葉が闇色とは限らない。私は無言で幸福を味わう。
先日、「映画 けいおん!」「映画 聲の形」などの山田尚子(監督)、彼女と長くコンピを組んできた吉田玲子(脚本)、そして「映画 聲の形」「リズと青い鳥」などで彼らと一緒に仕事をしてきた牛尾憲輔(音楽)らによる長編アニメーション映画『きみの色』をみた。いつも通り花の色の鮮やかさに希望があふれていた。今回は「色」がテーマなのでなおさらだが、不安や痛みや存在感がパステルカラーで表現されているようなところがありそれが傷にまで至っていない様子が明るい方へ向かうストーリーにぴったりだった。ストーリーやセリフを味わうより色と音の効果を堪能した。聖地巡礼について書こうと思ったが時間がなくなってきた。
風がブラインドを揺らしているが私の方まで届いてこない。今日もどうぞ良い一日を。