なんかまだ暑い。陽射しが強い。そして毎日眠い。すっきり起きるのにすぐまったりする。空の色はやっぱり秋。空高し。
仔馬爽やか力のいれ処ばかりの身 中村草田男
爽やかやたてがみを振り尾をさばき 山口誓子
仔馬と大人の馬では力の入れ具合が違う。どちらも素敵。
朝ドラ『虎に翼』のとらちゃんはこういう感じで変化したよねえ。今はいい感じに力が抜けて落ち着いている。
昨日、IPA(国際精神分析学会)のpodcast、Talks on Psychoanalysisを聞いた。お話はArgentine Psychoanalytic Associationの訓練分析家、スーパーヴァイザーのPatricia Alkolombre博士。テーマはThe Desire and Passion for a Child: Psychoanalysis and Reproductive Techniques。著書“The Desire and Passion for a child. Psychoanalysis and Contemporary Reproductive Techniques で扱われたテーマ、親であることの欲望と生殖技術について。
これまでポストフロイディアンやジェンダーセオリーで扱われてきた子供に対する欲望が含む複数のテーマが取り上げられている。
たしかに臨床現場でも様々な不妊治療の話を聞くことが増えた。人によっては卵子凍結の費用の話もランチタイムにするような話になっているようだ。そしてたしかに私のきき方もずいぶん変わった。いや、きき方は変わらないがこれはずいぶん多くの人に共有される問題になったんだな、という感覚をもつようになった。
ポッドキャストできいた話は新しい領域において子供に対する欲望(来たるべき子供の不在をめぐって)も変化してきているという話と思っていたけど最後はこれまでとそんなに変わらないのではないかという話にきこえた。この話もmotherhoodの文脈で語られていてそれ自体に私は抵抗を感じてきちんと聞けていないというのもあるし、私の英語の聞き取りの問題も大いにあると思う。
しかし、これが変わったからこっちも変わる、というほど人間は簡単ではない気がする。むしろ変わりたくないという欲望の外在化としての技術では、という気もする。この場合だって変わりたくないというのは無意識のことをいっているのでそれがなにかを取り出すことはできない。それは常に事後的にあらわになるというのが精神分析の考え方であり、実際にそうだと思う。本人にも誰にもわからない。知る、わかるよりとりあえず自由連想。
今日もがんばりましょう。