眠み。昨日もやたらめったら眠かった。少しお散歩にでたときが一番眠かった。普通は眠気覚ましに散歩したりするのだろうけど。体調崩すの嫌だからやるべきこと先延ばしして寝たけどいつもより早く起きてしまった。いつからこんなになったのかと思えばもうだいぶ前だけどいつだろう。低血圧で起きられなかった時代が嘘のよう。起きてすぐ元気だからすぐ家事できるのはいいけど勉強は捗らない。容量の少なさを感じる。ああ、カラスの大きな声。東の空がきれい。朝がくる。
りんごを一個もらった。むいた。いい香り。何十年経ってもりんごむくのが下手なのはどうしてかしら。まあ、包丁はどれもこれもうまくないか。
NPOでたくさんの子どもたちとキャンプをしていた頃、炊事場で小学生とりんごをむいていたら「あみさん、こうするとむきやすいよ」とさりげなく教えてくれた。その子のむいたりんごはめちゃくちゃきれいだった。おとなしくてしっかりしてて素敵な子だった。「どうでもいい話だけど」という言葉が思い浮かんでそういえばうちの両親はなにかと器用なのになぜ、と思った。小さい頃、父がりんごを丸ごと一個くるくるむいてながーい皮をみてびっくりというかすごーいというかどんな気持ちだったか忘れてしまったがその場面を思い出した。あれはなんだったんだろう。父はたまに何か披露してくれるのだけどこっちがせがんでとかではなかった気がする。チャップリンの真似とかうまくてあれはすごーいと思った。まあ、どうでもいい話だけど。
「どうでもいい話だけど」という言葉を使う機会が減った。分析が終わったから。自由連想は思い浮かんだことをできるだけ全部話すというのが一応のルールなのだけど(結構不可能なことやらされ、今はやってもらっているのだがこういう仕掛けというか設定)ほんとどうでもいい話が思い浮かんでしまう。分析家としてみれば全然どうでもよくないというか話の内容に重みづけして聞いていないからそういう前置きもいらないのだけどなんかつけちゃう時があるんだよね。まあ、こうやって書いてるのも朝の短時間自由連想だからどうでもいいことしか出てこないけど、日常ってそういうことが楽しいのだ、きっと。雑談ができない、という悩みも聞くけど頭の中ではかなりしているわけでそれを実際の相手にむけて出すのが難しい場合が多いんだよね。どう思われるかとか一瞬で色々考えるから。自由連想の難しさだってそこだもん。分析の終わりの方はすっごく自由に話してる自分に笑ってたけど。ごきげんな赤ちゃんみたいだった。自分がごきげんな赤ちゃんだった頃のことは忘れたけどたくさんの赤ちゃんのそういう様子は見てきたからあんな感じって気がした。色々あるけどそんな時間もあったなあ、というような思い出があると助けになるかもね。今日は土曜日。がんばろう。