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精神分析

雨、能登、Sexual Identity

窓を開けた。雨が降っていた。顔を出したら涼しかった。能登の状況をパソコンで見ていた。動けなくなる。どうしようもない気持ちになってゴロンとした。雨の音を聞きながら眠ってしまった。河合優実が夢にでてきた。直前に読んだ記事と先日見たドラマの影響だろう。以前一緒に週末を過ごしていた自閉症の子も出てきた。あの頃、しょっちゅう感じていた私自身の見て見ぬふりを久しぶりに感じた。一瞬の見て見ぬふりが彼らに実際の傷をつけるかもしれないというヒヤヒヤした感じも。夢はドラマのハッピーエンドのような様子だった。洗濯物ができあがる音楽で目が覚めた。洗濯機だと確信している一方で炊飯器だっけと曖昧な頭のまま転がっていた髪ゴムをもってベッドから降りた。起きたらまたネットで見た能登の景色が蘇ってきた。今日もひどい雨になるらしい。本当になんて言葉にしたらいいのかわからない。ある人が「もう笑うしかない」と呟いていた。脱力感、無力感に心の奥底が乗っ取られてしまう前にできるだけ早く、あたたかな支援が届きますように。

昨晩は今年はじめに亡くなった元IPAジャーナルの編集長Dana Birksted-Breenの本、The Work of Psychoanalysis Sexuality, Time and the Psychoanalytic MindのChapter 2 Modalities of Thought and Sexual Identityを読んだ。1章に引き続きかなりの情報量だったがフランス精神分析の文脈からの引用も豊富で偏りなく学ぶには非常にありがたい。そしてこの章は精神分析理論の中でジェンダーアイデンティティを位置付けることの難しさに対して簡潔な答えとまではいわないが答えのようなものをくれた。

書いてあったのはこんな感じのこと。

原書の64ページからちょっと翻訳。

「さまざまな種類の同一化は共存可能であるが、どちらの様式が優位かでしか語れない。したがって、「性的アイデンティティ」は複雑な現象の最終結果であり、それは安定していることも不安定であることもあり、実際の身体と一致していることも一致していないこともあり、無意識の空想に満たされている。それは、抑圧や分裂を通じて一貫性を保とうとする試みにおける身体、対象選択、ラベリングに関連するさまざまな要素から構成されている。

 精神分析は硬直した一貫性を崩壊させ、別の性の側面や空想の位置の変化を明らかにする。
過剰にジェンダー化された立場や二者択一的な思考は、迫害不安や脆弱なアイデンティティを防衛する。」

みたいな感じ。転移関係では男女関係なく様々なものや人になる精神分析においてシスジェンダーである私はどんな感じなのか、意識的でありたい問題だ。

もう準備せねば。今日はのんびりとはいえのんびりしすぎた。能登から雨雲ができるだけ早く去ってくれますように。

追記:マクドゥーガルの引用も示唆的。

“The inherent difficulty facing the infant in his task of becoming an individual is of a more global, more ‘psychosomatic’ nature than the problems encountered in coming to terms with sexual realities” (McDougall, 1974, p. 436).

個人として成長する過程で乳児が直面する固有の困難は、性的現実を受け入れる際に直面する問題よりも、よりグローバルで、より「心身」的な性質のものである。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生