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コミュニケーション 言葉

Eテレ、カフェでの会話

窓を開けた。風が気持ちい。オレンジの光はこれからかな。隣のうちの朝も早い。雨戸を開ける音が聞こえた。

この前、朝まで藤に絡みつかれていた桜が夜には幹だけになっていた話を書いた。それももう根元からなくなり、その木の所有者であったであろう人の家も外壁を残してほとんど中が丸見えになった。長らく誰も住んでいなかった。すでに柱だけとはいえはじめてみる内部。急に光がさし、風が通り抜けて小さな虫とかはきっとびっくりしたのではないか。奥に立つ家の外壁には何かのツルが張り付いて伸びていた。植物は気楽に境界を超えていたか。あの藤の名残だったりして、と思うと少し嬉しい。その家の人には迷惑かもしれないけれど。

昨晩、深夜、Eテレで『フェイクとリアル 川口 クルド人 真相』の再放送をみた。差別は絶対になしだ、というトーンでもなく、クルド人に関するSNSへの投稿の分析が量的になされ、いくつかの投稿に関してはその投稿をした側、された側の意図や気持ちが取材されていた。見始めてすぐに消したくなる不快さ、怖さを感じたが最後まで見た。その人がそうだと思えばそれが事実だ、ということはないし、数を集めた人が正しい、ということもない。少し時間をかければわかることでも圧力をかけられればすぐに混乱は生じる。事実はもっと複雑なものである、というのは本当にそうで、違和感はまず自分と実際の身近な相手との間でこなされるべきだろう。

私の仕事は時間をかけることの価値を信じられる人とじゃないと難しい。誰だってできるだけ早く結果がほしい。早く登校できるように、早く復職できるように、早く相手が変わるように、などなど。でも今もなんらかの結果だとするとそこにいたるまでの時間は長く、経緯は複雑だろう。誰も自分ひとりとか、自分と誰かという二者関係で生きているわけではなく、もっと複雑な対人状況を生きているわけだから。だからまずそれを認識し、それを整理すること自体に時間がかかる場合が多い。もちろんそんなに時間がかからない場合もある。でもたとえ時間をかけずに望む結果が得られたとしても今起きていることが複雑であることに変わりはない。

この前、カフェで席に通されると隣の人の大きな声が気になった。向かいには小さいけれどしっかりした声で話す人。その人が何か話そうとすると大きな声がそれに被せるように長い文章で話し出す。身体が動かず出社できなくなってしまったらしい人のヒヤリングをしているらしい。そんなプライベートなことをこんな公の場所で、と思ったが、SNSの利用状況を思えばこれもデフォルトなのだろう、か。医者に行ったら薬漬けになる、と受診を勧めない人が一定数いるのは以前から。私も責められているようなその大きな声が「あなたも甘えているところをどうにかしないと」というようなことを言った。これもよく知られた決まり文句。辛くなりながら資料を読んでいたら「甘えてるってどの部分が・・・」と小さいながらはっきりと異議を示す声が聞こえた。すぐに書き方とか振る舞い方とかを指摘しはじめる大きな声が響いた。みんなそう思ってる、という言いぶりもセットのパターンだと思いながら私はアメリカンをちびちび口にしながら作業を進めた。そこからの相手にはびっくりした。穏やかに、はっきりと、勤務時間外、早朝深夜休日問わず自分のスマホに送られきた文面を見せ、状況を説明した。その送り手がその人の不調にもっとも影響を与えているという認識だろう。見せられたその人はその送り手と親しい同僚らしく「ちゃん」づけでかばいつつも読み進め、話を聞くうちに言葉を少なくしていった。結果的にこれはパワハラだと思う、という理解になった。その会社ではハラスメント防止のための無料の研修も行われていて自分たちは受けているんだけど、と聞いて小さな声の人は少し驚いた様子だった。管理職向けなのだろう。パワハラをしている人はまさか自分のそれがそうだとは思わない、という話は本当にそうだ。「〇〇ちゃんも気づいていないと思う」と。そこからの会話は大きな声でも安心できるものに変わった。自分の誤解だった、全然知らなかった、と言える人が相手でよかったね、と大きなお世話ながら思った。具体的な対策も示された。そのときちょうど会社から電話がかかってきて小さな声で狼狽えるのが聞こえた。「私といるって言えばいいよ。ごめんね、私がいっておけばよかった」と上司らしきその人はいった。身体がかなり大変そうな話もしていたが受診を含め適切な対応と会えたらいいな、と思いながら私は席を立った。

「甘えてるって」と問い直す力を持ち合わせていない人も多い。すでにどこかで埋もれて見えなくなってしまったその言葉の存在を本人も忘れ、ただただ眠れなくなったり身体が重たくなったりして家から出られなくなることもある。今見えているものに反射的に反応することは避けたい、というのはどの人にも言えることだろう。

優しい光。今日から5月。4月はあと一日あると思っていたので昨日気づいてびっくりした。あーあ。慌ただしくとも穏やかな時間を過ごせますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生