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精神分析

学問、薔薇

早朝のバイクの音。もう一軒ごとに止まるあの音ではない。古紙を出してトイレットペーパーと交換する仕組みはまだあるのだろうけどあまりみなくなった。私も新聞はデジタルだ。

たまに「精神分析方面からは嫌われるけど」とか聞くけど、昔の人がいう分にはそう思わなかったけど、最近だと多分そういう人は精神分析を受けたこともきちんと学んだこともない。そう言いたい、あるいはそういう表現が好き、そういう感じがする。「認知行動療法の人は怒るだろうけど」とかいうのもそう。あとやたら若い世代が学問を変える、みたいなことを言っている人もそういう表現が好き、という感じがする。内側にいる人はそんな冷やかしみたいなこと言わない、というかそんなこと言ってないで学問の中身に入ろうよ、自分の好きなことにコミットしようよ、と思う。私が読んできた書物は領域を超えて真摯に論じられたものが多かったからそういう中で「精神分析の人は」みたいなことを書かれてもなんとも思わなかった。学問を守るってそんな難しいことではなさそうなのに今はそれがすごく難しい。アメリカでも日本でも。

一時、私の周りでは「モチベーション」という言葉がよく使われていたがモチベーションはあるかないかではなくて、どんなモチベーションがあるかで話される事柄だと思う。その点「ニーズ」という言葉はあるなしが使われても具体的な場合が多い。

こう書いてみればこういう話は昔からあるんだろうなと思う。進むより戻る。進むなら少しずつ。

今朝は藤井聡太名人のインタビューをデジタル版の新聞で読んだ。見習いたいことばかり。

今日はまた雨が降るみたい。薔薇の季節が終わりそう。終わりかけの薔薇もアンティークって感じで好き。素敵な写真が撮れたらいい。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生