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江戸。べらぼう、浮世絵、九鬼周造など。

キッチンに立ったら少し昨日の匂いがこもっていた。小さな窓と大きな窓の両方を開けた。大きな窓からは風を感じた。今朝はあまり気温が高くないみたい。iphoneの天気予報を見たら15時以降、傘と雷マーク。ひどくならないといいけど。

昨晩の月もきれいだった。オフィスからも帰り道もずっときれいだった。今年の蝉が少しずつ鳴き始めた。毎年一気に鳴き始めるイメージだったけど違ったか。6月に行った入笠山ではヒグラシが鳴いていた。

昨日は森鴎外の忌日だったらしい。鴎外は島根県津和野町生まれだが、私は旧宅にも記念館にも行った覚えがない。一番行ってそうなのに。津和野はとっても素敵なところで宿も卓球ができて楽しかったり、隠れキリシタンの悲しい歴史がわかる印象的な場所もあったりよく覚えているはずの街なのに何故だろう。安野光雅美術館はお正月で閉館していて西周旧居は工事をしていたことは覚えているが。まあいいか。文京区の森鴎外記念館に行って偲ぼう。

今NHKでやっている大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の影響で江戸時代への興味が高まっている。まずは平賀源内にやられたいうのもあるが、蔦重を魅了し魅了される役者陣にも毎回笑わされ泣かされている。府中市美術館「春の江戸絵画まつり 司馬江漢と亜欧堂田善 かっこいい油絵」でも源内は活躍していた。江戸文化で私が身近といえるのは浮世絵師くらいだが彼らの背景を知るとますます色々な角度から知りたくなる。浮世絵はあらゆる角度からじっくりみるのが楽しい。蔦重が見出した喜多川歌麿、東洲斎写楽や北斎たちの展覧会も各地で開催されている様子。先日、ミロ展に行く目的で上野に行き、上野の森美術館で「五大浮世絵師展」をやっていたことに気付いたが時すでに遅し。今からなら慶應義塾ミュージアム・コモンズの「夢みる!歌麿、謎めく?写楽ー江戸のセンセーション」が8月6日(水)まで。あとは7月15日(火)から静岡市東海道広重美術館で「流行の仕掛人~蔦屋重三郎と版元の仕事~」が始まる。由比駅が最寄りの美術館なのか。街道歩きをしている人にはお馴染みなのかしら、桜えびの由比宿。9月15日(月)までだから夏休みがてら行ってもいいかも。桜えびの季節ではないけど。静岡は新幹線を使えば東京からちょうど1時間。駅周りから商店街もビルも充実。歩いて行けそうな距離に緑が広がっているのもバランスがいい。

北斎は、長く仕事させてもらっている墨田区のすみだ北斎美術館があるからなんとなく安心、というかいつでも会えるような気がしているが、今特にみたいのは春画。これぞ江戸の町人文化という感じがする。2023年のドキュメンタリー映画「春の画 SUNGA」もNetflixでみた。橋本麻里、朝吹真理子がでていて嬉しいし、横尾忠則、会田誠のコメントもよかった。江戸に惹かれるのは会田誠の作品から得てきたものが大きかったからかもしれない。遊びと迫力。生と性。いつも会場で制作をしているイメージだがたまたま私が行ったときが公開制作中だったのかもしれない。鹿児島県霧島アートの森での展覧会に行ったのは2014年か。もっと前な気がする。会田誠は春画を外圧と関係ない江戸庶民の伸びやかな遊び心、スケベ心として評価している様子だった。性と生を反射的に拒絶することなく、日常の営みとして、一級の技術をもった絵師たちが描いたことも日本のエロティックアートの特殊性である、というようなこともこの映画でいわれていたと思う。本当にそうだ。才能と技術を惜しみなく使って描かれた春画の驚くべき細やかさと大胆な構図。どんだけ真剣に性行為と向き合ってんだ。にしてもこの時代の春画は明るくていい。開国に向けて心がざわめき出す以前、人の心にもこれらで笑い合える余裕があった。そういえば今日、浅草はほおずき市か。江戸時代のほおずき市もさぞかし粋だっただろう。子どもの頃、その可愛さに打ち抜かれたほおずき。浅草寺、ほおずき市、とくれば雷も悪くないってことか。浮世絵で雷といえば色々あるが、歌川国貞の「夕立景」は生き生きしていて面白い。

「要するに、「いき」な色とはいわば華やかな体験に伴う消極的残像である。「いき」は過去を擁して未来に生きている。個人的または社会的体験に基づいた冷やかな知見が可能性としての「いき」を支配している。」

江戸文化といえば九鬼周造『「いき」の構造』(岩波書店)ということで引用してみた。九鬼の色彩論もまた魅力的。先日のフォーラムでゲーテとパウル・クレーの色彩論には少し言及したがやっぱり私は日本のことをもっと知らないといけないな。せっかく九鬼みたいな人が日本にいたのだから。というか九鬼は東京、西洋、京都という移動を経ているからあれが書けたというのもある。この前『べらぼう』で西行の

願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃

が使われたシーンはとても素敵だった。九鬼は南禅寺のそばに住んでいてこの桜の下も散歩していたらしい。というかこの桜はどこにあるのだ?私も行ってみたい。

ちなみに九鬼周造は青空文庫でも読めるが『偶然性の問題』(1935年)は入っていないと思う。青空文庫で読むなら短いのがおすすめ。「小唄のレコード」とか。林芙美子が九鬼の家にきた時の話。いいなあ、みんな繋がってる。いいなあ、は私は林芙美子が好きだから。みんな大変な時代を生きていたけどイキだった。昨今の政治家たちに全く見当たらぬこの心性と土居健郎の「甘え」についてぼんやり考えていたのが昨日。今日も生き生き過ごしたい。