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精神分析

睡眠、ロジカルに。

東の空がすごくきれい。ピンクがかった鱗雲。早朝から小皿を割ってしまった。随分前から使っているムーミンのお皿。最初は5個あったのに今は2個しかない。この1年で2つ割った。一番手に取ることが多いお気に入りのお皿だからその分リスクも高いのか。比較的きれいに割れると知っている安心感からかそれほどショックを受けずにあっさり片付けられた。昨晩もたくさん頭と心使って言語化もして疲れたのでとりあえず眠って回復せねば、と睡眠に挑んだ、といっても気づいたら寝ていた。睡眠に関する研究はたくさんあれど、なかでも信頼性の高い知見を参照しつつ、自分の生活と自分の感覚を頼りに自分にとって最良と思われる睡眠を確保するのがベターなのだろう、と思うのだけどなかなか難しい。私は同じ曜日の同じ時間に同じ人と会っていく仕事だからはじまりとおわりは毎日ほぼ同じだけど日中がごちゃゴチャする日がある。外部での仕事とか生活の色々とか、ここで時間を確保するぞ、と気合を入れてスケジュール調整しても毎日のことではないし、イレギュラーなことも多いし、私の管理を超えた部分が多いので、休息もうまく取れないし、睡眠もうまく取れないし、となる日もある。移動もものすごいラッシュとかはもう何年も避けてるけど東京のラッシュは朝早いし、昼間は行き先によって全く様相が異なるので、ルーティンになっていないことはリサーチも追いついておらず「今日は運がいい!」とか結果オーライ思考で、全部運のせいにしかねない。リサーチといっても、私の生活とメインの仕事のためにいかにエネルギーを確保するかが目的なので様々な情報を頼りに自分でやってみて「これならいける」「これよりはこっちのやり方の方がいい」とか実証していくしかないのである。そのうち慣れる、から、そろそろ慣れてきた、となるまでには身体が持たなくなるかもしれないし、また別の事柄で日常はたやすく崩れるかもしれない。そういういつ何が起きてもおかしくない毎日を「まあなんとかなる」と腹をくくることは気持ちではできるが疲れるとますます失敗が増えたりするので、そうそうなりゆき任せにもできないのが現状。若い頃の嘘みたいな体力なんてもうとっくにないし、それでも昔より観察力と思考力と忍耐は身についているはずなので細々と獲得してきたものを生かすべし。ということで毎日疲れ切りながら生活の仕方を模索するのは悪くない。

中年に差しかかってからずっと精神分析を受けながら年を重ねてきた。本当にたくさんの臨床現場を開業一本に変更していく中で、自分のやってきたことが何に繋がっているのかを考えられた時間は本当に助けになった。自分が精神分析家として仕事をはじめてから、それまでよりずっと、人々には本当に様々な、本当に複雑な事情があるという現実を突きつけられるようになったので、なにかをたやすく判断したりしないことがもっとも大事なような気がして、持ち堪えることにものすごくエネルギーを使うようになってきた。だから身体のメンテナンスにも気を遣うようになった。やりとりにおいては物事はもっと複雑なのだから論理的に考える必要があるのではないか、と主張するようになった。それはとても当たり前のことなのだが、大抵できていない、というというと反論もあるだろう。そういう反論にエネルギーで消耗したくないのだ。それはそうだろう、と。それだけのことだから。それにしても、まさか私が論理的であることを強調するようになるとは。でも精神分析を体験して、結局それがもっともシンプルにトライすべきことなのではないかと思うようになった。そもそも、に立ち返ったり、おかしくなったときにもう一度最初から落ち着いて、きちんと観察して、ロジカルに考えてみよう、と。そうできるようになるまでにものすごく揺さぶられたがそれもプロセス。自分ひとりでは独りよがりな論理を振りかざして怖くなったり恥ずかしくなったりしたかもしれない。二人でいると最初はもっと強烈に感じた。独りよがりで幼い自分に気づくための二人設定だから一方ではすごく抱えてもらっているのだけど渦中にいると悪いことばかり起きているような気さえした。自分がこんなに赤ちゃんみたいになるとは思っていなかった。大人が赤ちゃんみたいな心性になるというのは特殊な事態だが赤ちゃんってこんな感じに泣いたりわめいたりひとりで楽しそうにしたりしてるんだろうな、という体験だったってこと。赤ちゃんの鳴き声や笑い声と言葉ってシームレスだからそういう言葉を体験した。本当に大変だったけど。

今日は身体も頭も使う。体調崩さずに過ごしたい。