双葉町と浪江町で震度3。朝のバタバタで気づかなかった。2011年、東日本大震災で被災地へいかなかったら福島の町はこんな身近ではなかった。余震が続くなかの被災地訪問だったが、被災したみなさんの揺れに対する反応にとても切なくなった。うまく眠れないという悩みを抱えて受診する人が多いようにリラックスすることはただでさえ難しい。震災は震度が一番大きかった時間で終わるわけではなくむしろそこから始まる。それはその後のものすごい長い時間に影響してくる。能登のように地震で生き残り、大雨で亡くなった人もいる。亡くなられた方はもちろん、さっきまでいた人を目の前から、腕の中から失う体験は、これからの時間だけでなく、今ここの時間、それぞれが生きてきた時間にも遡って影響を与える。影響の中身は様々に違いないが、地震がトリガーとなって前景化する記憶はそれがなかったら出会わなかったものかもしれない。トラウマやPTSDという言葉を使う以前にそれぞれの体験を現場からのものとして忘れずにいたい。被災地の地名を見るたび、聞くたびに私に駆け巡る景色も言葉をなくすものだった。一緒に支援に入れてくださったみなさんの健康も祈る。
今朝の東京も寒い。カーテンを開けなくても薄いグレーの空とわかる。一応開けて確認したけどやっぱり思ったとおりの空色だった。
高市内閣に対する若い世代の支持率が高いそうだが、身近な若者たちの様子からもそれは感じる。わかりやすく自分とは関係ないと思わせてくれるからかもしれない。震災もそうだが、私たちの多くは当事者になる以前に当事者意識を持つことはしない。どうにかしてくれる「感じ」というのにお任せして、何かやってくれる「イメージ」で自分の不安を防衛する。それが一般的だろう。だから曖昧な「感じ」や「イメージ」が本来何であるかを探る行為(勉強)が必要だし、政治は自分たちを代表しているだけで、自分が気に入らないものや人を排除してくれる機関ではない。人は自分の理解を思い込みと思いたくないし、何か大きなものがそれに賛同してくれる「気がする」という感触を得られればなおさらそれを変えようとしない。すぐには変わらない困難に対しては時間をすすめるのを早めることは逆効果だが、大胆に何かを打ち出すやり方の方が魅力的に見えるということもあるのだろう。異なる他者と生きざるを得ない人間の知恵は、他者との間においても自分だけの時間を確保できる心から生じると思うが、「自分だけ」が他者の排除と結びついていたらそれはかえって囚われている状態で自分をなくしている状態だろう。ナルシシズムがあたかも自分の思い通りの世界を構築しているようでその内実が空虚であるように。
今朝なh、群馬の名物焼きまんじゅうの味をマフィンとして焼き上げたMOO-FACTORYの「焼きまんじゅうマフィン」。
”マフィン生地には群馬県中之条町の「こうじや徳茂醸造鋪」より仕入れた、麹から作った甘酒を仕込むこだわり。味付けには前橋市朝日町の焼きまんじゅう老舗「たなかや」の秘伝の味噌ダレが使われています。 ”
とのこと。ウェブサイトはこちら。焼きまんじゅうといえば「たなかや」というイメージはたしかにあるが「たなかやよりこっち」という店をおすすめしてくる前橋市民もいてローカルフードならではのこだわりを感じられて面白い。ほかほかを味噌だれの香りで味わうとても素朴な焼きまんじゅうだが、こうやって形を変えて受け継がれていく強さをもっていたんだな。郷土の力。
それにしても寒い。やらねばならないことばかりなのに本当にどうしたものか。とりあえず取り組もう。良い一日でありますように。
