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精神分析

表情とか言葉とか。

朝の空。昨日の気温はよかった!夜は少し寒かったけど大きく息を吐いて、吐き切ったら自然に吸う、というトレーニングでやっていることを適当に使ったら駅に着く頃には暖かくなっていた。今日のお天気はどうなるのかな。光はすっきりときれいだけど。

朝ドラばけばけ、楽しい。本当にひどい時代だな、と思うのはどの時代に対してもだが、そこで生き生きと生活している人たちをみると安心する。私は笑顔が一番、みたいなことはよく笑う人に対してしか思わないけど(笑顔で!とか要求するもんでもない)、表情がくるくる変わるのは素敵なことだと思う(淡々と表情変えないのも好きだけど)。おトキちゃんが「すいません」と言ってばかりだと悲しいけど表情の豊かさを叱られて育つ子を思い浮かべると気持ちが全て顔に出ているおトキちゃんによかったね、と思ってしまう。すごく過酷ですごく辛いことはあるに違いないけど、それを表現できる方法があるって、そういうものを育てていくって大切だと思う。

なので相手が子供でも大人でも治療者が患者の言葉がどういう風に使われているかに注意を払うことはとても大事。言葉は現実をそのまま表してはくれないけど、私たちは辞書の役割を果たしているわけではないというか、そういうことは辞書のほうが確かな仕事をしてくれるので、私たちは言語が現実をどう切り取って、その認識がその人独自の体験の中でどのようになされてきたかに注意を向ける。認識って常に事後的なもの、そして言葉はその中で独自の機能を備え、語彙も意味づけされていくいく、という認識。ややこしや?特に精神分析では言葉が切断や去勢の作用をもつことを重要視するし、言葉が距離を生むんだという認識は共有していると思う。その質をどう考えるかだね。ややこしや?

♪毎日難儀なことばかり♪とハンバートハンバートが朝ドラ主題歌で歌っている。本当そう。でも今日も歩こう。生活しよう。♪落ち込まないで諦めないで♪

いいお天気になりますように。良い一日を。