青森、北海道、岩手などの地震、津波も心配で昨晩はずっとニュースを見てしまった。途中から音声は消してしまった。この寒さの中避難したり、火の用心で火を使わなかったりしたらますます心細いのではないだろうか。まずは守られた居場所があることの重要性を痛感する。被害が大きくなりませんように。
東京の空は少し雲が多いが、今朝もきれいなピンクに染められつつある。熱いお茶と熱海来宮神社の「わか葉」をいただいた。あとりんご。あたたかい、おいしい、とても大切で恵まれていると思う。
無視できない問題が多いが、その問題に一緒に取り組める人は少ない。瀬尾夏美さんや富永京子さんのような地道な運動の仕方を教えてくれるモデルはいるし私も以前はNPOで社会運動的なことをやっていたが、ボランティアや地域の人など協力してくれる人が増えれば増えるほど難しさは増した。団体はウェルカムであることが大事であり、というか個人に対してもそれは当然そうで乳幼児観察のトレーニングを受けているときにこのウェルカムかそうでないかはひとつの指標になっていた。その場にいる相手を見えていないかのようにできる人は実際にいるわけで、物理的に一緒にいてもそれは場を共にしているとは言えないので何かを一緒にすることは難しい。特定の相手にだけ、などの言いぶんも聞こえるが相手が誰であってもそういうのはどうなんだ、ということだよ、という話は結構ある。臨床家にもそういう人はいるが、臨床の仕事で出会う分には全てがアセスメントで、患者の環境をマネージメントするために自分がそういう人とでもどういうふうにやっていくかを考える必要があるだけなので、それはそれとして関わっていくが、間に守らねばならない人がいるときにそういう態度を取られることは非常に困ることではある。小さな子供のセラピーをしていると親御さんとも関わるわけだが子供を間に包み込むようにおいてあげられるかどうかは臨床家ひとりでできることではなく、親機能と協力することが絶対に必要。もちろん機能が落ちているから相談にきている場合の方が多く、一時的にこちらがその代わりをすることがほとんどだが、それだって自分の責任において相手の機能を預かっているという点で強力なわけで、それを「ない」とアセスメントすることはできないし、ましてはあるのにないように振る舞うことなんてできない。どれだけの人の心が無視されていることか、と思うからこそできることを考える。
今、災害や宗教やいろんなことで孤立している人たちが表面上のウェルカムに惑わされず、暖かで安心できる居場所と出会えますよに。そういうのはお金がかからないことがまず大事なので行政が最初の窓口として確実に機能してくれたらどれだけ安心だろう。もちろん行政で窓口を担当してくれる人が孤立しないように協力して一緒に取り組んでくれる人が絶対必要。こういうことが難しいのなんてわかりきったことだができる方向で考えることが出発点だからやっぱりその方向で、と思う。
こうして日本にも朝がきたけど本当に不安な夜を過ごした人たちに継続的に関心を持ち続けていけたらと思う。

