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精神分析

子供の心のことを書いたり。

今日は雲が多く夜明けのピンクもグレーの雲にかき乱されていた。月はもう見えなくなっていた。どこにいったかな。鳥たちももう朝のひとなきを終えてひとっ飛びしにいったみたい。ひとっ飛びだと意味が違ってしまうか。ひとっ走りしてこよう、とかひと汗かこうぜ、とかの意味だとどうなるのだ?大体、鳥に朝のひとなきなんてないか。まあいいか。人間の赤ちゃんは起きてぼんやりしてなんらかの対象に気づくと声を出しがち。最初は短い声。だんだん多く、だんだん大きく。対象との出会いのインパクトは大きいのだ。

と書くのは、子供の心理療法について書かなければだからで、昨日は少し書けたが、その数日前に書いたものとの整合性がなくなってしまった。やっぱり途中にオラニエを読んだのがいけなかった。オラニエは最早期の心の生成を複数の水準で描き出そうとしたわけだけど、オラニエの描写する赤ちゃんってクラインの描く赤ちゃんとは別の感じで辛そうなのが辛い。ウィニコットやグリーンは死せる母について書いたけど、オラニエは母の中で死んでいる子供を書いてる感じ。精神病の精神分析の長年の経験がオラニエに心の原初まで遡らせる強いモチベーションを維持させたのだろうけど、ウィニコットの主観的対象と同じく、心の原初を描くにはどこかで何かしらの形を想定する必要がある。そしてそれをあくまでその後に続く運動と連動するものとして捉えながら描く必要がある。事後性の概念はそれに貢献するし、欲動理論もここに役立つ。アンドレ・グリーンはその種まきをたくさんしてくれたと思う。オラニエもラカン発の分析家ではあるが、オラニエが基礎に置くのは身体と欲望。方向性としては母がカッコ付きの「私」を見出すというより、私が母になることで「私」になるという感じか。とか考えていると、そこまで書いていたものに揺さぶりがかかってしまうから書けないんだな。隙間時間にやるのだから別のものは入れずにとりあえず一気に書き上げないといけないのだろうけど。すぐ何考えてたか忘れてしまうし。うーん。賢い人が羨ましいが、そういう不足は継続によって補うのが吉、と思っているのでなんとかがんばりましょう。がんばれますように。

今日は金曜日。木曜日って書こうとしてしまった。朝ドラのことも脳内ではたくさん語っている。現実の1週間は早いが、「ばけばけ」は一日を長く描いてくれるのもいい。今日も反射的に応じず言葉を受け取る心を引き伸ばして広いお皿みたいにして色々受け取ってまいりましょう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生