空が暗くて悲しい。でもこれから晴れるみたい。嬉しい。昨晩、帰るときには月がビルの合間にかろうじて見えた。明るかった。今晩は月と土星が並んで見えるとのこと。冬は星がきれい。
APCソウル大会で演題を採択してもらえたのは嬉しいが英語のメールの意味を呑気な方面に捉えちがえお返事が遅れてしまった。シドニーで発表したときのやりとりで学んだはずなのだが、この時期、ヨーロッパは休暇に入っているのだった。自動返信で「日々するべきことから少し距離を取り、十分な休息を得られ、そしてできれば——受信トレイから離れた場所で——自由連想のためのささやかな時間が生まれますように」ときた、英語で。そうしたいのだが自分のせいでそうできないのよ、と思いながらしかたないから休暇明けまで待ちましょうと思った。あーあ、と思ったら別の担当の人からお返事がきた。大丈夫だった。よかった。休暇中にお仕事させてしまいすいませんでした。友達が遅れてもきっと大丈夫、といい感じで励ましてくれたのも嬉しかった。
私は分析家になるプロセスで、日本で主流だった週一回の精神分析的心理療法について考え続けてきた。今はその設定で臨床を行うことも難しいときくので精神分析的心理療法のありかたも変わってきているのだろう。ましてや週4なんて、ということだが、私は世代的に週一回の心理療法をかなりの数をおこなってきたので、とりあえず自分のその体験と精神分析家のbeingとbecomingを検討してきた。参照していたのは大体オグデンだが今年はアンドレ・グリーンに随分思考を広げてもらった。
ソウル大会に応募した演題は、オグデンが分析的枠組みの変更に関する論文から考えたことを自分の体験に即して述べ、最終的にはエリクソンに着地させた。というか、自然にそうなった。発達心理学専攻だった私にとってエリクソンはなじみはあるが、私がなじんでいる分析理論には普段あまり登場してこないエリクソン。講義ではもちろん取り上げられるが。なので書いていてエリクソンがでてきたことに自分で驚いた。いつも何読んでもすぐ忘れてしまうけど無意識を信頼したほうがいいね。つながってくればでてくるものもあるらしいよ。しておくもんだ、インプット。
年末年始は何を読もうかなあ。最近の小説も読みたいけどうちに積まれた文庫から適当に引っ張り出して読もうかな。kindleで読み始めると複数の本をいったりきたりしちゃって全然集中できないから。
昨日の朝ドラ「ばけばけ」があまりによかったので今朝はしじみのお味噌汁にした。宍道湖の夕焼けはなかなかとれないらしい。私はラッキーだったんだな。コロナ前の年末年始の旅行で松江のホテルに向かうまでに宍道湖沿いを歩き、すごくきれいな夕焼けをみられた。朝焼けもいいけど夕焼けも素敵。仕事は明日の午前中で納まる。能登は今日も雪かな。クリスマスの映像は寒そうだった。あれから二年がたつ。輪島市門前町の黒島漁港の写真をみた。まだ使うことができないという。能登演劇堂で仲代達也の芝居をみることは叶わなくなったがまた行こう。今度こそ珠洲と輪島へ。地震のこと、そのあとの大雨のこと、いろんな記憶が蘇る年末年始になってしまっているかもしれない。穏やかな日々でありますように。それぞれの場所であたたかくできますように。

