今朝も空がとてもきれい。うっすらピンクの広がり方が少し変わってきた気がする。昨日17時頃、オフィスの窓から明治神宮の方を眺めたときもなんか空の色が変わってきたと感じた。
さっき「今朝」を「ケア」と打ち間違えたのだが、高市さん、バリアフリー化は公費でしょう、と彼女のポストを見て思った。そういうところこそ公費でしょう。この前ここに書いた三上晴子の展示に行ったときに感じたことも思い出した。私は知覚が世界を捉える仕方を体験的に広げていく展示が好きで、友人や仕事で会う人など様々な障害を持ちながら生活している人のことを思い出すことも多く、じっくり体験する。豊島や直島の体験型の展示もそうだった。それらの内容が障害者のためにといっていなくても知覚に関わるすべてのものは障害の有無関係なしに私たちの生活や関係に関わるものだし、私の生活だっていまや老眼鏡がないと文字も読めないわけで、自分と世界のズレや他者との知覚の交差が可視化され俯瞰できることはとても有意義。三上晴子の体験型の作品の一部を車椅子の人が体験できないことがどうというわけではない。できないことはできる人が体験して、その差異を埋めていく工夫をしていくことの方が無理やり直接的な体験を提供して安全面を犠牲にするよりいいのは当たり前というかそういう雑な比較をしているわけではない。多くの場所は障害のある人と同伴者一名は割引などの制度を使える。徳島県鳴門市の大塚国際美術館では館内でも車椅子の貸し出しがあって車椅子の方も数人見かけた。あそこは世界の名画が陶板の複製画で見られて触ることもできるので楽しんでいる小さい子もいた。多くの子は寒いのにお外で遊ぶほうを選んでいたが。高市首相には世界との関係を雑に扱う前に身近な人のQOLを高めることが政治の世界に多様な人材を引き入れることにつながることをみせてほしい。亡くなった人を弔うことも大事だが、スピードが必要なのは今せっかく生きているのにその苦労や不便さを知りもしないくせに色々言う人たちと生きていかねばならない人たちが安心して暮らせる施策だろう、なんてことは私が小さい頃から表面上では言われ続けてきたことだと思う。雑といえば、なにかの制限に関して、酒気帯びとかと車椅子利用とかを並べて書くのはどうなのか、と私は思う。安全面の保証ができないという運営側の事情としては同じなのだろうけれどユーザー側からはどうだろう。こういうことを短時間でざっと書いてしまうのも雑かもしれないが、ある程度指まかせにしないと色々考えて結局考えることもやめてしまう場合もあるから。
それにしても休み明けのこの1週間、必要な本をほとんど読めなかった。臨床でうけるインパクトをそう簡単に形ある世界に切り替えることはできないので明日明後日をそういう時間にしよう。いろんな人の話を聞き、体験を聞くことは、自分の聞き方を問われるし、「単に聞く」ことは聴覚だけの仕事ではない。複雑な知覚世界を希望を捨てない人たちと共有していけますように。良い1日になりますように。

