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精神分析

大変なことだ。

夜明けが早くなった。今日の東京の空はとてもきれい。

昨晩のオリンピックも色々でしたね。それぞれ本当に強い思いを経験するんだろうなあ。大変なことだ。しかも映像で何度も同じシーンを体験させられる。大変なことだ。精神分析をしていると人間がいかに他人からの言葉を素直に取り入れることができないかが本当によくわかる。もちろん私も精神分析を受けることで受けなかったら絶対に気づけなかったであろうレベルで体験した。最後の方はどんな気づきも面白かったし、防衛的にならずにいられたけど最初は辛かった。これはどんな人でもそうだ、ということは経験している人にはほぼ伝わるだろう。頭でちょっと気づいていてもそれを他者と体験することは全く別。そうやって別の何かと出会っていくことに時間とお金をかけられる人はそんなに多くないけど私は結果的には良かったな。とかなり時間をかけないとその意義は掴みにくいかもしれない。というより、自分が気づいていなかった自分と出会う衝撃を体験すればするほどその意義には気づくのだけどその作業から逃げたい気持ちもものすごく強く体験させられる。防衛とはそういうものだし、精神分析が外傷的に作用するとよく言われるのもそれと関係している。何度も何度もこれまでの自分を体験させられ、そのたびに強く揺さぶられる。それは耐え難い不快さを伴う。精神分析の作業がなされるまで、あるいはなすことが困難な場合は身体の症状が出たり、日常生活でのうまくいかなさが増すこともよくある。いいことなんてひとつもないではないか、と思いながら、苦しむ場合も多い。それ事態に対する予測はかなり初期で共有されるのも特徴的だろう。人はこうなるものだ、という理解はわりと普遍的なものだと思う。でもその強度はものすごいのでどれもプロセスとして生じると知りつつも辛い。精神分析家の方もその場で起きていることを意識的には理解しつつも自分をコントロールできないことを感じながらなんとかそこに留まり続けなければならない。その人が生きてきたやり方に触れるわけだから何が起きるかを身をもって体験していないとかなり難しいだろう。体験していないからやれてしまっているような二人になる、ということも頻繁に起きるからまた難しいし、精神分析を受ければ絶対体験するものでもない。その前にやめてしまう場合も多いし、予測される体験を避けるために何度も何度も同じことを繰り返し、何も変わらないし、変えたいとも思わないとなる場合だってある。なんて書いたところで精神分析状況で生じるものすごい複雑で矛盾だらけの出来事、あるいはそれらをまるっきり単純なもので覆う動きは身体全体で感じていくものだから伝わるような表現は難しい。オリンピック選手がまず自分でこの場に立って同じ経験をしてから言ってほしい、というのはよくわかる。が、自分の言葉の外側で何かを言うってほぼ不可能。それを超えていくなら境界を曖昧にするリスクを背負うことになるし、そのためには・・・という循環が延々続く。大変なことだ。でもみんなそれぞれがんばろう。どうぞ良い一日をお過ごしください。

新宿中央公園。ピント合わせが難しい形態。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家