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精神分析

勉強したり。

明け方、雨の音で起きた。そうだったのか、今日は雨だったのか、と思ったらこのあと晴れるらしい。春のお天気は難しいけど雨は降ってくれないと困る。週末、勉強ばかりでほとんど歩いてもいなかったのでうちに帰る前に近所をちょこっと散歩した。ミモザがぶわーっと咲いている姿を想像しながら歩いていたのだけど立派な椿くらいにしか出会わなかった。毎年近所で見かけていた気がしたのだけどどこか別のところで見たイメージを連れ歩いていたのか。

今度の週末はラカンの鏡像段階、ウィニコットの鏡役割、コフートの鏡転移をめぐって議論する予定。その前にうちわで予習の会をした。福岡のおふたりと。日本精神分析協会には東京支部と福岡支部があって、精神分析家、候補生、精神療法家、研修生はみんなどちらかの支部に所属することになっている。私は東京在住の東京支部だけど、名古屋や関西の人もいる。福岡支部にも福岡以外の人たちがいるのは同様。セミナーは東京で開かれることが多いが福岡支部のみなさん、早朝の飛行機でやってきて夕方の飛行機で帰って普通に忙しく仕事しているのだからすごい。私はコロナ以前の候補生なのでいろんな地域からやってくるみなさんと直接交流ができて、精神分析家になった今もそういうつながりにとても助けられている。小さいグループで同じもの目指して勉強しあえるってとても幸せなこと。哲学をする、というのとは違って実際に人と会う実践を積み重ねながら学問としての精神分析を探求できるのは楽しいこと。精神分析には絶対に他者が必要。ということを存在の根源レベルで考えるのが鏡像段階からはじまる精神分析における他者や主体の議論。予習会でフロイト『快原理の彼岸』にも「ベイビー、オーオーオーってあるよね」という話になって「おー、そうだっけ、どこだっけ」と確認したら岩波の全集65ページの脚注にあった。それぞれすぐに開ける本が様々で私よりずいぶん若い方が一番古いフロイトの訳本をもっていたりして面白かった。人は他者と出会うことで自分のイメージと出会い(自分そのものと出会うのは不可能といえる)、他者の不在とも出会う。ないものをあるとする、あるものをないとする、私が実践においてもっともインパクトをうける人間のこころがもつこの作用、なんであってもそれは必要とされる作用であり作業であると捉えるのでそこにまきこまれつつ、自分にも同型のものをみいだしつつなにかが腑に落ちるのをまっているような仕事だがそこにわかったふりをもちこむと台無しになるのでそれは気を付ける。非表象領域というものがあり、そこに侵入すべきではないということをウィニコットは晩年明確に述べているが、だれもがもつその曖昧な領域は必ず侵襲された体験の痕跡を持っていると考えるのも精神分析であり、それは分析状況で反復されるだろうと考えるので、やっぱり技法なくしてはできない仕事だなと思う。精進せねば。枠組みを守るのだってほんと一筋縄ではないのでそれもがんばらねば。ああ。大変だのう。みんなでがんばろう。

まだ雨降ってる。いつやむのだ。ずっと部屋にこもってる仕事でも窓の外は明るいほうが嬉しいな。雨は大事だけど(と戻る)。まあ、どんなでもなんとかやっていきましょう。いいことあるといいですね。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家