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精神分析

2026年3月11日(水)

2011年3月11日14時46分に発生した大地震は多くの地域に甚大な被害をもたらし東日本大震災と名付けられた。私はあのとき駿台の専門学校の職員室にいた。事務の方や先生方と和やかな時間を過ごしているときのことだった。机の下に潜りこみ激しい揺れがおさまると同時に家族から着信があり短いやりとりをした。その後何時間も電話は通じなかった。その日は卒業式で会場から音を建てて揺れる高層ビルの間を縫って帰ってきた人たちは涙ぐんでいた。私はたまたま一階でみんなと一緒にいられたがいつもいるカウンセラーの部屋は6階とか7階とか上の方だった。少し落ち着いて部屋に行ってみたら掛け時計が落ちて粉々に砕けていた。そのときにすぐ片付けたのか、手伝っていただいたのか記憶がない。一体何が起きているのか、いや、起きていることはアナウンサーが説明をしているのだが、あまりに理解を超えたテレビの映像をみんなで眺め続けた。なにがどうなっているのか全くわからなかった。歩かない距離だが歩けない距離ではないと、夕暮れ前に家に向かった。神保町の古本屋の本が崩れているのをどう感じていいかもわからないままただただ歩いた。毎日スニーカーなのになぜかその日はぺったんこのおしゃれ靴を履いていた。歩いているうちに暖かくなると思ったがあまりに人が多く、ゆっくりトボトボ歩くしかなく寒かった。道路沿いの居酒屋はどこも満席だった。新宿まで着くとルミネのシャッターが降りており、「ああこんなふうになるんだ」と思った。真っ暗だったような気がする。とても感情が平板になっていた。それからまもなくNPOで石巻や三陸に行き、福島の郡山にあった避難所には定期的に食べ物と遊びの出前をした。その頃もまだ気持ちが全く追いついていなかった。その後もいろんな形で被災地へ行き、埼玉の避難所にも定期的に向かった。被災地のことを考えるとボロボロボロボロ泣くようになったのはいつからだろう。被災地のみなさんにも色々なお話を伺った。仮設住宅へ伺ったときもとても暖かくもてなしていただいた。あれはなんだったんだろう。そうじゃない、私なんかがこうしてもらう場ではない、でも自分の非力を思い悩むのも違う、そんな場合でもない。いろんなお話があまりに想像を超えていて優しさに触れるたび、時間差で突然涙が溢れることが増えた。なんてことが、どうしてここで、なんで彼らに、誰に問いかけても答えなんてない。あれから15年、そんな状況をずっと過ごしてきたみなさんがどうかあたたかい場所や心に触れられていますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家