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精神分析

カフェとか喫茶店とか。

夜明けが早くなった。でもまだ暗い空に月がきれい。

来週金曜は春分の日。まだ寒いけど春の花々は次々咲き鳥たちはそこに集う。写真を撮りたいけど手袋を外したくなかったり、一度撮り始めるとその場から離れられなくなったり色々なのがこの季節。こっちにもなにか咲いてるかなあ、とちょっと寄り道したりするとクリニックやカフェがあったりする。毎日歩いている街でも知らないことのほうがずっと多いよね。初台駅は甲州街道沿いで、さすが街道は高低差もなく歩きやすい。参宮橋方面は坂がたくさん。岸田劉生の「切り通しの坂」も唱歌「春の小川」のモデルになった場所もそっち方面。「河骨川」という。そして昨年閉店してしまった駒テラス西参道に別のカフェがオープンしていた。Brewman Tokyo 駒テラス西参道店。なにやら高級なコーヒーもいっぱい。前ののんびりした感じとはちょっと違うおしゃれな感じ。行ってみたい。

高校時代、制服を着ても学校にいかず喫茶店のバイトに明け暮れていた。そこの一番高いコーヒーがブルーマウンテンだった気がする。もう30年以上前のことだからすべてうろ覚えだけど名前も長いし貫禄あるし「ブルマン」を頼むのはどんな人だろうと大人になってからも思っていた。今はコーヒー豆にこだわるカフェがとても多いからそれほど特別なものではないのかもしれないけど1990年代はじめの田舎の高校生はまだそんなの何も知らなった。私の喫茶店のお客さんが「いつもの」というのはたいていブレンドコーヒーのことだし、「ホット」というのもブレンドコーヒーのことというのは学んだ。当時はいろんなものが安かったね。バイト代も安かった。田舎ではDCブランドがまだ元気で、私がいた煙くて薄暗い喫茶店がはいっていた本館隣のDCブランド中心の新館は華やかだった。今思えば昼間から「まち」にいる高校生が珍しかったのかもしれないがお店の若い女性たちとは通りかかるうちに仲良くなって洋服の話もたくさん教えてもらった。バイト先のおしゃれな先輩もメルローズに就職するので辞めた。メルローズがビギ系だとかそういうつながりを知ったのもその頃だと思う。優しくて素敵な人だった。私はまだまだ子供だった。警備員さんとも会えば言葉を交わしていた。ある日、駅で制服を着ていない彼をみかけた。貫禄十分と思っていたのにとても普通の若者でびっくりした。お客さんはほとんどが常連さんだった。彼らを外でみかけるとたいていそれまでとのイメージとの違いに驚いた。大人の世界ってこういうものなんだな、と漠然と思った。

朝から一日中薄暗かった喫茶店の空気を思い出してしまった。しまったということもないけど私も大人どころか彼らよりずっと年上になった。憧れのオレンジティー(おしゃれでおいしかった!)を自分でいれるようになるなんてこともなく、いつもおいしかったまかないパスタのようなものを作れるようになったわけでもないが、相変わらずたくさんの人とお話ししながらいろんな学びや経験を積み重ねている。みんな元気かなあ。もう亡くなっていると知っている人たちもいるけれど。

この前、久しぶりに江藤淳の『成熟と喪失』をパラパラしたんだけど、日本人にとって「アメリカ」とは、という問いっていろんな言い換えを可能にしているよなあ、と思った。そういう意味ではこの本の数年あとにでた土居健郎の『「甘え」の構造』に書かれた土居のアメリカでの体験もそうなのかもしれないけど、土居の場合、体験したのがアメリカだから、という感じで、フロイトに対するさっぱりした態度同様、他者に対するそういう重みづけは感じない。それにしても私が読んできたものは古典がほとんどだな。私にとって新しい作家っていつくらいからの人をいうのだろう。村田沙耶香とか自分より年下の作家の本も読んではいるけど量は少ないかもなあ。専門書に割く時間が多すぎるのがよくないけど咀嚼に時間かかるからしかたない。難しくとも楽しいからいいけどさ。

今日は土曜日。いいことあるといいですね。