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精神分析

散歩、言葉、表情

夜明けの空すっかり春。特に今日はうっすらとしたピンクが朧。

昨日は日米首脳会談で高市首相が何を言ってしまうのか気になって仕方ない祝日だった。東武東上線の成増でモスバーガー1号店「なりもす」へ行き赤塚エリアを散歩。赤塚城跡はもう何も残っていないけど地形が城っぽかった。あの辺は起伏の多い地形なのね。桜もぽつぽつ咲いていて今日とか一気に咲きそう。城跡内には東京23区初の区立美術館の板橋区立美術館も。今は「焼絵 茶色の珍事」。面白かった。描くのではなく焦がすのね。十八世紀、十九世紀の作品もいいけど、最近の猫野ぺすかさんの猫の作品、特に猫タロット占いは惹かれた。買ってくればよかったなあ。昔、職場でタロットが流行って教えてもらったことがある。どこいってもひとりはできる人がいる世界な気がする、タロット。カードだけでも魅力的だしね。

さてさて首脳会談。これまでの文脈を無視すればどっちの意味でもとれることを言ったのは戦略か、たまたまか。パールハーバーを気楽に持ち出されたことに対する緊張感のなさ。「あなたも同じことしましたよね」という言葉は自分の行動を正当化する理由になどならない。過去に対して即座にどういう態度を示すかは政治じゃなくても常に重要だ。「そういえばそうでした」と黙るのも違うし「悪い言葉「何度も謝りましたよね」も全然違う。過ちを犯しても、「おまえがいうなよ」と言われ続けても、消えることのない過去の過ちを認め続け、「だからそれを繰り返してはいけない」という信念を表明し、それを体現しつづけようとする。孤立した状況だったらそれはとても難しいことかもしれないけど、様々な感情になりながらでも「それしかできない」という現実にじっと静かにいつづける。なぜそれはそんなに難しいのかを実際に見続け、実感しつづけ、考え続けるのは私たち臨床家の仕事でもあるけど、知識として、小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』のような本は読んでおきたい。「そういう人ばかりじゃない」というのは当たり前であって大きな問題をなかったことにする理由にはならないし、「意見が違うだけなんだから尊重してよ」というのはそれはそうだが「だから触れるな」と禁止することはできない。どう触れるかはもちろんものすごく重要なことだが。こういう話は立場表明のためであれば極論に急ぎ、思考停止になりかねないが日常生活においてはいちいち表明も宣言もする必要はそんなにないはずなので揺さぶられては考え、事実と文脈に戻り検証し、例外を全体の説明にしたくなるならそれはなぜか考え、などなどを続けていく必要があるのだろう。

ところで、私は笑えない話に笑う人に違和感を覚えるが、なんなのでしょうね、表情って。私は精神分析の世界に入ってからあまり笑わなくなったと思う、というと客観的にはそんなことはないらしいが。気持ちと表情が一致してきたのかもしれない。違うな。私の仕事は私から笑うようなものでもない。ものすごく受身的な仕事だということ。ものすごく自分と違う人と出会うときに自分の感覚なんてあてになるはずもなく、まず普通に聞く、フロイトだって技法としてはそれを推奨した。まず観察、まず聞く、表情につながる回路は相互作用でできていくのだと思う。もちろん逆転移というのはその距離をなくすものでもあるので自分の笑いに自分で驚くこともあるし、それに激しく嫌悪感を抱くたり、抱かれたりすることもある。臨床場面の私はその場にいない人には想像できないくらいいろんな笑いを共有している。相手によって、状況によって、プロセスに応じて、全く異なる笑いを。私にとって違和感を感じない笑いは笑えない話を一緒になって笑うことではなくて、そこから連想がはじまり、そのプロセスで生じる反射ではない笑いだ。冷笑は笑いではないし、なんでも笑い飛ばすことを笑いと思わない。ただ普通に笑う。ただ普通に聞く、と同じように。

政治家は楽観的すぎるというか見る範囲を狭めればそれが可能なポジションなのだろうし、昔の精神分析家は悲観的すぎると思う。今の精神分析家はよくわからない。私は日本語で学術的なことを書いているときは中立的だと思うが、英語だと急に自分の言葉が他人のものみたいに思える。20歳のとき、はじめて海外に行ってそれなりにコミュニケーションできるようになって帰ってきたが、あれは英語ができるようになったというより言葉の使い方がまだ幼児に近く、コミュニケーションに特化していたせいだと思う。今は自分の中にあまりにいろんなモードの言葉があって、精神分析のおかげで一番自然にしゃべれている状態に馴染んだから戻る場所はわかるんだけどすぐに迷子になる。しかも私は今どこにいる?というより私自身を見失う迷子。これ書いてるの私?みたいな。特に母国語以外で抽象度の高い作業をするときにそうなる。精神分析臨床は具体的というか具象的というか、そういうのの積み重ね。それを高度に抽象化するのはまた別の仕事で、でも精神分析家としてはそれを同時にやっていかなくてはならないわけで、仕事するって楽しくも大変。「ウラメシ、ケド、スバラシ。」の朝ドラ「ばけばけ」も終わってしまうね。本当にいいドラマだった。今日もお散歩しようかな。みんなにいいことありますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家