お天気よくない。でもそれほど暗くもないし寒くもない。まだ風が吹くと寒いけど動けばすぐに気にならなくなる。桜もあっという間に満開になりそうだし、チューリップも次々咲くし、春は楽しい。でもくしゃみもいっぱい。ふー。
先日、若者と小さな図書室で過ごした。地理や歴史の本を集めている様子に感心すると同時になんでもいろんな本を読むといいよと思った。本棚には私が小さな頃からなんとなく手にとっては読んできたいろんなジャンルの本があった。それでもジャンルでいったら相当偏りがあるのだろう。いろんな本を読むといいよと思いつつ言葉にしなかったのは、本を読んでいれば自然と別のジャンルの本にも出会っていけるから。そんなことを思っていると須賀敦子の『本に読まれて』が目に止まった。懐かしいな、と手に取りながらますます余計なことだなと思った。この本は須賀敦子の書評集でたくさんの質の良い本と出会える一冊だが、ほかの須賀のエッセイと同じく、歴史と言語に対する深い思考がどの本も上質にしてしまうし、対象の本を読まなくても須賀の文章を読み進めること自体が豊かな読書体験となる。だからこうやって自分の手が伸びること自体が大切なのだ。そして伸ばす場所があるのが大切なのだ。図書室のある二階は少し暗くて、その子はとても怖がりだった。子供の頃、二階が子供部屋だった。夜、階段をのぼりきるとベランダに通じるドアのガラス窓にぼんやり浮かび上がるものがとても怖かった。廊下とも呼べないような短い部屋までの距離を急ぎ、部屋に入ったらすぐに忘れるような怖さだった。それでもいつも怖かった。その日、その子は図書室でのんびり一緒に過ごした数時間後、ひとりでそこに行った。「ひとりでいくんだ」と母親がつぶやいていた。「ひとりでいけなかったんだ」と私はそこで知った。本を読むことは単に言葉を目で追うことではないことを実感する時間だった。
さて今日は月曜日。やすみやすみ過ごしましょう。

