眠い。雨だ。「雨だ」と打ったつもりが「甘えだ」とでた。最近、土居健郎のことをちょこちょこ考えているせいだろうか。熱いお茶が美味しい。
昨晩、日本精神分析協会訓練分析家の藤山直樹がよく口真似していた土居健郎の言葉「精神療法はハラハラドキドキなんだよ」「精神療法はね、出たとこ勝負だよ」 をポストした。私は土居健郎の声を一度だけきちんと聞いたことがあるが藤山先生の口真似は多分似ていない。でも土居のこれらの言葉を藤山先生の声で聞いてインパクトを受けた人は多いと思う。言葉だけみれば大した意味を感じないかもしれない。しかし精神療法に真剣に取り組んでいる身には結構響くのだ。私は慶應心理臨床セミナーを終え、グループSVに出たり、友達と精神分析的な臨床をする先生方にお願いして小さなグループをやったりしながらある程度、精神分析的に心理療法をするということのイメージを掴んだ頃に藤山先生の指導を受けた。その患者はとても「難しい」患者であると「わかった」のも後からで、そのときはどうしたらいいか全くわからず、先生に何を言われても落ち込むばかりだった。今なら「難しい」も「わかる」もかっこ付きで書く必要があることがわかるし、何をそんなに困難だと感じていたのだろうと思うが、というか、全く通じ合う感覚が生じないことに困難を感じていたのだが、通じ合えるという前提がそもそも間違っていた。人は、というか私たちはそんなに簡単ではない。なんなら自分のことが一番厄介で難しかった。なんて自分が精神分析を体験しなければ実感できなかったと思うが、当時はもう今から考えると滑稽なくらいひとりで悩んでいて(二人のことなのにね)そんな私に藤山先生は時々とてもインパクトのある言葉を楽しそうに言った。そして「って土居健郎が言っていた」と付け加えた。最初に書いた言葉たちもそれらの中の一つ二つである。私は「ハラハラドキドキ」できない自分に嫌気がさしながらも「きっとそうなんだろうな」と思えたし、そうなれたらいいなと思い、患者のことを思い浮かべた。私は心理職なので心理士で精神分析的心理療法をやっている先生方のSVも受けてきたが、どの先生からもそれぞれインパクトのある言葉を受け取っている。
先日、中井久夫の言葉を引用した。
「土居先生は怖い先生だと聞いていました。面白かったのは、誰でも精神分析の用語を使うとものすごく叱られるのです。まして二流の精神分析の論文など引用すると、烈火のごとく怒られまして、「そういうものを読むから頭が悪くなるんだ」と言われました。これは、私には都合のよいことでした。私は精神分析の本をあまり読んでいなくて、精神分析用語を使わずに話をしたので、逆に過大評価されたのかもしれません。」
ー『中井久夫集4 1991ー1994 統合失調症の陥穽』
私は深津千賀子先生に「転移」という言葉を使用したときに似たような怒りを感じたことがある。直接そんな言葉を使うな、と言われたわけでもないし、烈火のごとく怒られるなんてことは全くなかったが、そんな言葉を使う前に、と言われている気がした。その後、私は臨床を積み重ね、スーパーヴァイジーたちを持つようになったが今は深津先生のあの感じがよくわかるし、同じことを言っている自分がいる。転移といいたがるオレら、という時期があるのだろう、誰にでも。
私はSVと治療は全く違うものと最初からわかっていた、というか精神分析を受けるという目的は当時は私の仕事とは関係のない、ただただ患者になる、ということだったので、SVで患者置き去りの反省とかしないでいられたのはよかったと思う。ひたすら患者とやっていることを考え、実感を持って理論と触れることの積み重ねをさせてもらったと思う。その後、精神分析家になると決めて長い期間訓練を受けてようやく学術的であることがどういうことかもわかるようになって論文も書けた。お世話になった先生方はもうだいぶ高齢だ。いつまでも仰ぎみるような存在だが、私も日本の精神分析の世界にほんの少しだけ貢献できるようになりました、と伝えられるようになりたい。
精神分析は口承文化なのだろう、ということを書きたかったのだが思い出話を書いてしまった。私もだいぶ歳をとってきたから先生方との思い出を書いておくのも悪くないだろう。ということで今日もがんばろう。

