今日はひんやり?でも暖房つけるほどではない。昨日はとてもいいお天気でたくさんの春の花に出会えた。大学の卒論のとき、協力してもらった幼稚園がある駅でも遊んだ。どこからきたのかといわれ「東京です」というとGWには薔薇がきれいだからまたきてほしいけどそんなしょっちゅうはこられないでしょう、というようなことをいわれた。通っていた私としては「いえ、まったく」なので薔薇の季節にも行けたらいいな。この週末は各地でイベントが多かった様子。たくさんの家族をみかけた。歩道橋で小さな子がおばあちゃんを気遣って「荷物持つよ」「大丈夫よ」というやりとりを繰り返していて、おばあちゃんはいつものことだろうから多分本当に大丈夫で、孫に持たせるほうが心配かもなあ、でも一生懸命お手伝いを申し出るこの子の気持ちもあるしねえ、と思って「持ちましょうか」と声をかけたらその子が元気に「ありがとうございます!」といってくれた。気持ちのいい子だ。お花のきれいな公園に自転車で遊びにきていたやんちゃそうな子どもたちのやりとりもすごくよかったんだよねえ。対等であることってみんなが同じものやことを同じ量だけ請け負うことではなくて、というか量的なものの比較って人間関係では難しいわけで、お願い事をしたらありがとうという、とかそういうひとことでどちらかだけが負担に思ったり寂しさや悲しさを感じたりしないようにやってきたのが人間の知恵だったはずでしょう。保育園でいつも周りの子のおもちゃをとってしまうことを気にされていた子が「はいどうぞ」をはじめてできて驚かれるという場面を何回も見ているけど言葉にするって勇気がいることだし周りの支えあってこそだと思う。そういえば帰りの電車で隣に座った高校生たちの会話はとてもつらかった。なんで必要のない意地悪をするのだろうね、人は。自分のなかにとどめておくのが難しいのはまだ若いから、でもなんでもないだろうけど。みんな少しずつ負担をわけあってカジュアルに感謝しあえる関係のほうが、お互いの排除のこころで団結する関係よりいろんな面でいいことが多いはずだけど。政治に対する怒りが日常のあれこれを厳しく査定することにつながってはいけないし、むしろ日常のあれこれに対してはいろんな人がいてそれぞれに事情があるとうことを前提にして強制や支配の文脈からできるだけ離れていくことが大事だよね。そうそう、今日もそれぞれがんばりましょう。

