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精神分析

超回復とか引用とか。

虫の声。静かな朝。音があってはじめて感じる静けさもあるし静けさのおかげではじめて感じる音もあるね。

筋肉痛がひどくて時々ふらつく。都会の人は歩くのが早くてうまく避けられない。酔っ払ってるわけではないよ、というかこれは酔っ払いのイメージか、と心の中で呟きつつのったりふらりと歩く。破壊された筋肉が回復中なのよね、と思って筋肉痛について調べたら「超回復」という文字がありなんかすっごく強くなりそうと思った。漢字三文字だからか。「波動拳」みたいな。さて超回復には48時間から72時間かかるらしい。バスケ部やバド部だった頃、筋肉痛でフラフラになった翌日も練習していたけどあれは筋肉によくなかったってことかな。でも合宿で超回復待っていたら練習ほとんどしないことになってしまうものね。まあ、不真面目な俺たちにはそれで全く問題なかったがな。お部屋でゴロゴロダラダラおしゃべりしてるだけで全然楽しい、ってなってたと思う。

先日、GW中に開催された狩野力八郎先生の蔵書頒布会でいただいてきた本を読んでいた。そのメモを探していたらこんなのがあった。

「われわれ、特に日本人は「なる」という表現が好きで、「何々します」とは言わないで、「何々ということになります」という言い方をしますね。あるいは鳩山前首相も得意だった「・・・・・・させていただきます」というへりくだりの表現がありますね。」

これは別の本からの引用だ。

木村敏と坂部恵の「する」「なる」の区別を受けて「何々ということになります」について野家啓一が木村敏との対談で言った言葉。

「ある意味ではそれは、自己が責任をとらないという責任逃れの口実にもなるんだと思いますが、同時にその事態の展開というものを自分だけじゃなく、他者とも共有し合う場を形作る、という機能も「なる」という表現にはあるのかな、と思うのですが。」

中動態の話。どの本だったか。木村敏と野家啓一で検索するとなぜか全然関係ないサイトが出てきた。Googleが変になっちゃったと思ったら「野毛」で検索していた。とはいえ、どうして?「野家ではありませんか」とか出るのがいつもではなかったっけ。二人とも有名でしょう?それにしてもお二人の共同作業は多くてどれだけわからないな。「河合臨床哲学シンポジウム」シリーズのひとつだった気がするけど曖昧。出典が一番大事なのにメモしわれた。

さて、お目当ての本のメモはどれだ。ない。ラカンの不安概念と関連して気にしていたキルケゴールのことが書いてあったのに。でも書名ならわかる。実存主義とルドルフで検索。あった。

『実存主義と精神医学』 ルドルフ・アラーズ (著) 西園昌久/板谷順二 (訳) 判型:A5判 ページ数:113, 5 1965年6月15日初版 岩崎学術出版社 刊行時定価(税別)800円

とのこと。引用メモは見つからないけど西園先生はこの本の翻訳を小此木先生に強く勧められたとあとがきで書いていらした。精神分析に対する批判やそれに触発された対話の水準が高かった時代という気がする。最近、そういう時代の本ばかり読んでいるな。いや、そうでもないか。小説はわりと最近のも読むようになったし。とにもかくにももう亡くなってしまった先生方の仕事を忘れないように現在の精神分析を考えていかねば、というかその方がずっと豊かな気持ちになる。感謝だなあ。

冷房はつけてないけど少し暑くなってきたかな。森の方でいつもと違う鳥の声がする。どうしたんだろう。今日もがんばりるれろ(とか昔言ってなかった?)とか言ってるといいな。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生