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精神分析

人とか人でないとか。

朝の光がいったん消えた。窓を開けたらまだ少しだけひんやりとした風が入ってきた。今日も暑くなるのだろう。今日は旬のデラウェアを食べよう。美味しく水分補給。

昨日の記憶がすでにあまりないが、何をしていたのか。相変わらずヒトラー、チャーチルあたりの文献や映像は見ているが。第二次世界大戦に向かうまでも大戦になってからも本当に色々ひどいな。

民衆は権力者の持ち物ではない。

女、子ども、障害者になら何をやってもいいという人は人ではない。

私が精神分析理論を学ぶなかでウィニコットの環境とあることbeing、生きていることalivenessにどうしても気持ちが向かうのは、私meと私でないnot-meの移行の困難をこうした世界から感じるせいかもしれない。死んでなきゃ生きてるってわけじゃない。

人ってなに、どういう状態のこと?人の形をしたなにか、だとしたらそれってなに?

発達初期にユニットとしての全体性や一体感を得られなかった場合、遊びと空想のための場を持ちにくい。つまり転移も生じにくい。患者自身が発見する必要がある場、ビオンだったらそれは学びの場なんだと思うけど、それは間主体的な場であると同時に孤立へ向かう破壊的な場でもある。

あ、そうだ、昨日は原光景が事典や辞書で大項目にならないことについて考えていたのだった。ウルフマンを読むとき以外も重要だと思うが。

先日、ハイキングに行ったときのお花の写真から花の名前を調べたりもした。相変わらずすぐ忘れてしまうが花々の様子は雲の様子と一緒にすぐに思い浮かぶ。山の方はまだ紫陽花がきれいに咲いていた。都会では感じない風の通り道に差し掛かるたびにみんなが「涼しい!」と小さく歓声をあげる。そういう瞬間はいい。

今日もバタバタしそうだが、熱中症にだけは気をつけて過ごしませう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生