カテゴリー
精神分析

臨床心理士資格、レヴィン序文

今朝、とても見たかったいかにもよあけという空を見た。昨晩は月を見たくて、空を見上げたらまず星がとても明るいのに驚いた。すっかり冬の空だった。

日本臨床心理士資格認定協会から書類が届いた。「臨床心理士」資格更新のための書類を作らねば。これまで参加してきた研修や学会の領収証などは別にしておいたのにそれが見当たらない。困った。臨床心理士資格をとって25年。5年ごとに更新して、毎回こうなるからきちんとしておいたはずなのに。

さてContemporary Psychoanalytic Practice by Andre Green French Psychoanalysis: Contemporary Voices, Classical Texts Seriesの一冊目、グリーン自身がウリバリとの対話の中で選出した論文集。英語版への序文は The series editorでThe Freudian Matrix of ​André Green序文”Why Green?”もよかったHoward B. Levine。

その序文、Limit cases, transformation, and the ordeal of the session: André Green’s extension of Freudian theoryの一部訳を置いておく。

>>介入は「風通しのよい(ventilated)」ものでなければならず、つまり、ドグマ的でも、強制的でも、過度に「確か」でもなく、潜在的でありうる意味の移行領域を巧みに支え、拡張し、さらには創り出そうとするものであるべきである。グリーン(1996)はこれを「自己組織化の認識論…、分析をオートポエティックな(autopoetic)過程として、組織化−脱組織化−再組織化の連鎖として捉えること」を要すると述べている。多くの患者にとって、まだ感じられておらず、まだまとまった意味が存在しうるという見通しそのものが、理解不能、混沌、そして空虚(空白blanc)な抑うつや境界例状態の寄るべなさと絶望から離れる進歩的な一歩である(本巻第5章)。

風通しのよい解釈(ventilated interpretation)という概念は、フロイト(1937)の「構成(Constructions)」論文と、ウィニコット(1971)のスクイグルゲームの論理に基づいた技法の拡張である。それは、患者の語りspeechが破壊的分裂や意味あるつながりの形成不全によってどれほど断片化しているかを取り扱う。

レヴィンはこうやってスッキリまとめているけど、この本はスッキリするまでのプロセスが、フロイト、ビオン、ウィニコットの精読を通じて書いてある。そのプロセスを追うのはとても大変だけどそれがなかったらこんなこと(上記)書かれても面白さがわからないものね。精神分析の面白さはそりゃ苦痛を伴うけど中に入らないことにはどうしてもわからない、というか大体のものはそうだろう。

きれいな光。いいことあるといいな。みんな元気で。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生