雨。早朝カーテンを開けたら向かいの屋根がとても白くて雪が積もったのかと思った。雨で空は暗いのに光って見えるのだから水ってすごい。
今朝のNHK俳句は岸本尚毅先生だった。兼題は「石」。みなさんの俳句を読んでいい季語だなと改めて思った。私たちの小さな(だいぶ大きくなった)オンライン句会の投句締切は明日。まだ一句も作っていない。忘れないようにせねば。年末っぽい句を作ることになる、作ることで年末を意識する。させられる。うう。
年末締切の原稿を昨日ようやく書き始めた。というより、とりあえずアイデア出しをしてこの路線で、治療状況のこういう場面を切り取ろう、くらいのことが決まったような決まっていないような感じにはなった。一般向けの本の一章なので先行研究をしっかり示さねばとかそういうことはないが、かなり長く積み重ねてきた体験があっても、それがどうして効果的だったのか、あるいは役に立てなかったのかを考えるために結局理論に支えられてきたので文中には書かなくても理論的背景との接合ができないことは言葉にできない。かといってどの業界にもいるずばぬけた感性でものを書く人がそういう作業をしていないかというと全然そうではなくて、怪しくない名人は歴史を経て育ってきた知見を細やかに参照し自分のものにした上で書いているのでやっぱり天才!と思う。いいなあ、とか言っていないで身の丈でものごとを進めなくてはならぬ。
そうだ、午後の勉強会の資料をプリントアウトせねば。やっぱり紙にしないと読みにくい。そして朝の目が本当に働くなってきた。こうやってどんどん読めなくなっていくのかもしれない。そしたら記憶力の弱い私は学術的なことは何もできなくなっちゃうのかもしれないな。こういうときにやっぱり名人はいいなと思う。機能が落ちてもそれまでの蓄積が引っ張り出せる場所にあるわけでしょ。私の場合、専門的なことで何か書くときも「あー、あの人のあれ使おう、でもどこに書いてあったっけ、こう書いてあったよね、あれ?違う?」みたいな曖昧さで始まって、その本を部屋から見つけ出すところから苦労して、見つけると別のところから読んじゃって、結局どの文章探していたんだっけ、と振り出しに戻って、みたいな。人生は双六なのですね。確実に老いているのに変なところだけまた振り出しかよ、みたいになるのは辛いけど面白がりながらやっていけたらいいな。身体のほうが頭よりは上手に使えるから(粗大運動に限るけど)そっちの機能まで落ちたらとても悲しい。地道に鍛えても体調崩して一気に振り出しって身体の場合もあるから。でもなんにしても積み重ねができる基盤を意識するのが大事かな。双六だって全体があるからこそ楽しいわけで、これまでやってきたこととか周りがしてきてくれたこととかいいことも悪いこともひっくるめてとりあえず足場はあるから、バラバラになったような、もしくは底が抜けたような感覚になってもそこに戻ることから始められたらいいな。よく夢とかお話とかで行き場無くしたときに「こっちこっち」って声がしたり手招きしてくれる場面があるけど、フワッとそっちに向かうときと向かいそうになるけど「あれ、なんかおかしい」と足の方に止められる感覚になるときってあるでしょう。その足が大事と思う。小さな移動手段が時間をかけて学んできてくれたことに委ねつつ、移動することで機能を落とさないようにしつつ、ですね。寒いから必要最小限になるけどね、この時期は。脳内散歩でいっか、ということで無理せず過ごしましょう。

