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精神分析

藤山直樹『精神分析の深みへ」を読んだり。

今朝の夜明けもとてもきれいだった。戦争中の国の空はいつも曇っているのだろうか。すごく悲しい。自分がちっぽけであること、特別な力など何もないことを実感できない人生では人を弔うことも次世代を生かすこともできない。なんか眩暈がする。

昨日は藤山直樹『精神分析の深みへ』をようやく買って読んだ。昨年11月の学会のときに買うのを忘れて、ブックファースト新宿にもなくて紀伊國屋で平積みされているのを買った。Amazonで買ってもよかったしKindleの方が安いけど藤山先生のこれまでの「精神分析〜」シリーズ3冊は本で持ってるから揃えたかった。精神分析の実際を知るには一冊目の『精神分析という営み』が圧倒的だけどその「営み」という言葉自体を吟味する仕方とか、自分で言ったこと書いたことに正直な感じが藤山先生の良さなのだと思う。日本の精神分析家は当たり前のようにフロイトに戻り、始める、を繰り返している(つまり回帰か)印象があって、日本語を使用しているという点にも感受性が豊かなのがいい。今や私もフロイトを読むことを日常としているわけで、それは先生方が自然に染み込ませてくれた姿勢なんだと思う。藤山先生は実際に会うとこんなスッキリと落ち着いた文章を書く人とは思えないけど、実際のやりとりでものすごくインパクトを受けたという人は大勢いるわけで、もともと舞台の人でもあるし、落語もやるしアリストテレスのいう「ストーリー」を構成する力に長けているのだと思う。即興かどうかで見せ方が変わるだけで。精神分析自体、基本は即興なわけだけど即興を可能にする基盤はものすごく基本的な作業(訓練)の積み重ねになる。こういう言葉は使っていないけどこの本は精神分析家「になる」ことについても言葉にこだわりながら細やかな吟味がなされている。現在の日本の精神分析をめぐる基本的なトピックを精神分析の本質的な議論を背景に押し付けがましくなく差し出すような、というか個人の思考プロセスが提示されているだけといえばだけだし、そこでいう「個人」に内在する多くの他者との対話に基づく思考であることに自覚的な著者が書く文章はこちらにも自然に入ってくる。「これが書いてない、あれが書いてない」と言いたくなるような状態でなければとても上質な読み物だと思う。びっくりしたのは俳人でもある藤山先生が精神分析のことを書いた俳句は2句だけだということ。あれだけ俳句の話をしているのに。この2句はフロイトという大きな存在と対峙する自分と、ちっぽけな自分が繰り返す仕事に潜む仄暗く匂い立つ花のような質感というセクシュアリティの学問である精神分析がもつ孤独と親密さを私は感じた。というか、この本は精神分析がセクシュアリティの学問であることを事例以外から読み取るには意識的な思考が必要で、俳句という17音の力はやっぱり大きいと思った。俳句、作ろう(という勧めは特にされていない)。

東京はいいお天気。良い1日になりますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生