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精神分析

グロットスタインとか隙間時間にやったこととか。

今朝も空がきれい。昨晩、オフィスを出て月を探すと月自体は見えなかったが居場所はすぐにわかった。雲越しでも十分明るかった。今日も晴れみたい。あまりに雨が降っていないけど大丈夫だろうか。雪も雨も人間が対処できるくらいちょうどよく降ってくれないものだろうか。

今回の選挙はそれを強行すること自体が人の命を危うくし、ぎりぎりのところで踏ん張っている人たちをさらに追い詰めるものであることは大体の人が共有していると思う。でも、だから、とはならないのも人だろう。だからこそ、今こそ、とわざわざ自分たちの生活を脅かす人たちに投票する人はこれまで通りそうなのだろう。そうする理由なんていくらでもつけられる。期待なんていつまでだって持てる。その間に自分が脅かされさえしなければ。いや、脅かされても脅かしているのはその人たちじゃない、と自分に嘘をつけるなら。幻滅しないためなら人はいくらでも力を尽くす。精神分析は幻滅のプロセスに入ってはじめて動きが出るといっていいと思う。もちろんそれまでの長い長いプロセスあってこそだ。人は今の、今までの自分を手放すなんてできない。その仕方だってわからない。だから相手を求める。でも触れられれば抵抗する。頭ではごく当たり前のこととわかるのに、いざ自分にそれを言われると激しく動揺する。自分は間違っていない、と何も言われていないのに言い募ったりしてしまう。思わずしてしまう動揺に委ね、考えるなんてできない。人はどこまでも今のままでいることに安住しようとする。たとえそれがどんな環境でも。自分と相手の重なる部分を増やしながら、助け合いながらやっていくのが一番安全なはずなのに。いかに自分が人を受け入れていないか、いかに自分が自分を正しいと思っているか、そういう疑いにどこか怯えながら表面だけ取り繕うことにエネルギーを割き続ける。それがどんなに不毛だったか、そしてそれがどんなに必要だったかを実感するのは意外と外側の事情でどうにもならない事態が生じるときだったりする。精神分析プロセスにおいては本当に不思議なことにセッションの動きとそれは重なる。本当は不思議ではないけど、全て相互作用だから。何が起きても何も感じない人はいるわけだから、今、現にこうして。

昨日は、私の中でいつも気の利いたこというおしゃれおもしろ紳士みたいな位置付けになっていたJ.S.グロットスタインを知るべくいくつかの文献をざっと見た。アメリカの精神分析家ローレンス・ヘッジズ(Lawrene E Hedges)のWorking the Organizing Experience: Transforming Psychotic, Schizoid, and Autistic States.の序文もそのひとつ。まあ、鮮やかな・・・。グロットスタインはそこで組織化(organizing)という用語をヘッジズ(1983)に由来し、彼自身によって精緻化されたもの(Hedges, 1992)として、その概念をとりまく主要な理論を的確に軽やかに紹介していく。ヨーク(Yorke, 1986)、ストロロウおよびアトウッド(Stolorow & Atwood, 1992)における早期の組織化体験、ビオン(1962, 1963)の「乳児的破局(infantile catastrophe)」、ウィニコット(1952)の「存在し続けることの失敗(failure to go on being)」、マーラー(1952, 1958, 1968, 1972)の「消滅不安(annihilation anxiety)、タスティン(1966, 1972, 1980, 1981, 1984, 1986, 1987, 1988, 1989, 1990)そしてグロットスタイン自身(Grotstein, 1990, 1991)の「ブラックホール不安(‘black hole’ anxiety)」、パーソナリティの「早熟な閉鎖(precocious closure)」、それと対応するバリント(1968)の「基底欠損(basic fault)など。

そして乳児の能力に関してメラニー・クライン、スターン(1985)、サボツキー(Subbotsky, 1993)、シェア(Share, 1994)、バウアー(Bower, 1974 および私信)の乳児研究を紹介し、

「スターン、サボツキー、シェア、バウアーが明らかにしているのは、乳児の生において、体験や知覚が心的表象や記憶として符号化されない、あるいは符号化不可能な時期は、存在しないかもしれない、という点である」とまとめる。そしてReturning now to Hedges’s work, とさらっと戻る。どこからの球も軽やかに受け止め、鮮やかに打ち返せるのは博識なのはもちろん、私くらいの人でもいろんなところでその「私信」を目にするという印象を持つほどの対話の幅広さではないだろうか。

さらに昨日は隙間時間に岡本源太さんのnoteで公開されている講義を聞き、岡田温司『増補 アガンベン読解』を開きつつ、引用されている箇所を味わった。短いから隙間時間にちょうどいい。そして言語が形をなすことについて考えるために古田徹也『言葉の魂の哲学』も同時にパラパラした。九鬼周造の「いき」の議論と土居の「甘え」の議論を言葉の使用という側面から考えることも同時にした。隙間時間にやることはどんどん忘れていくのでこうやってメモっておかないと。あー。哲学の勉強をもっとしたいが時間が全然ない。今考えていることに絶対豊かさをもたらしてくれるのに。

まあ、できることを地道にやろう。積み重ねは信頼できる。もう週も後半。焦るががんばろう。いい1日になるといいですね。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家