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精神分析

柿、懸濁など。

朝焼けが今日もきれいだった。今は随分秋の空。もう暑くなることはないかな。今の空もきれい。鱗雲だ。

柿が結構熟してて剥きにくかった。でも甘くて美味しかった。ちょっと小ぶりだったからずっしり大きな柿も食べたいな。そういえば私が通るような道には大きな柿はあまりなっていない気がする。柿の大きさって何によって決まるのかな。スーパーには大きなのも売ってるけど。もう少し注意深く柿の木観察をしてみたら意外と普通になってるかもね。

この前、「懸濁」って書いてある目薬をもらった。「懸濁」という言葉は普段は使わないねえと話した。薬剤師さんはしょっちゅう使うそう。「よく振り混ぜて点眼」とも書いてあった。今気づいた。注意書きは注意が向くきっかけがないと気づかないもんだね。自分で「よく振る!」とかマッキーの細い方で書く方が絶対忘れない。大体、今は老眼で小さい文字が見えないしね。まあ、口頭できちんと説明もしてもらって「懸濁」という文字のインパクトで覚えていられるけど。

この前、ラカン派ではないフランス精神分析の勉強会でウィニコットの父軽視について話したのだけど精神分析でいう父母って実際の父母をそのまま指しているわけでは全然ない、ということが精神分析を勉強している人の中でもわかっていない人が多いのではないか。逆に本当に実際の父母だと思って読んだらこんなの絶対変だよ。ラカンを読んだ方がそういうことは自然にわかるかもね。想像と象徴の絡み合いで説明できるから。そういえば昨日も隙間時間にラカン読んでてラカンはこの時期この言葉使わなくなってるんだ、そういえば、ということに気づいて書いている文章を修正したりしてたんだけど理論は個人内でも当然変わって行くもので同じ言葉が違う意味に使われるようになったりその言葉は絶対に使わないというこだわりがあったり、ラカンだったら造語も多かったりしてそこが面白味だからフロイト、ラカン、クライン、ウィニコット、ビオンは基本的なものとして時間かけて読んでいきたい。私はクラインとラカンが足りないな。クラインもかなり読み込んだ時期があるけど忘れてしまってるし。忘れたとしても訓練入る前にいっぱい読んでおいてよかった。今は時間がない。隙間時間に読むとつながりがつく前に時間切れになるから何度も同じところを読むことになってしまう。社会は教科書の最初しか詳しくなかったのを思い出す。周りで社会大好きっ子がいて朝、社会の教科書を読む余裕があった日は「今日はいい日」ってなるんだって。今ならわかるのだけど子供の頃は私は教科書でそんなこと思ったことなかったな。国語の教科書だけは渡されたらすぐ全部読んでたけど。あと道徳。道徳を学んだかどうかは相当疑問だけど読み物は好きだったな。社会の教科書もそのノリで読めたらよかったなあ。後悔、したところでねえ。今クイズとか出されても知らないことが多いけど今はとりあえず勉強はなんでも楽しいってなってる。いいことだ。今日もがんばろう。

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ワイン紅茶、医薬分業、『星の王子さま』

今年もブルーベリーをもらった。ブルーベリーは食後に食べるのが効果的だそうだが朝イチで食べてしまった。爽やか。ハーブティーもレモングラスだから爽やか。そういえばこの前、ワイン紅茶をもらった。宇都宮市のお茶専門店y’s teaのEncore bis。アンコールビスと読むそう。なんとこれ、同じく栃木県の足利市にある有名なワイナリー「ココファーム・ワイナリーの赤ワインに用いた高級ぶどうを、栃木県宇都宮市の福祉法人しのいの郷のマイスターが 長時間じっくりと乾燥してドライレーズンに。 そのぶどうと相性が良く、水色もワインをイメージさせる紅茶をY’s teaが 厳選し、独自の製法でハンドブレンドで仕上げた紅茶」とのこと。いろんなところがこうやってつながってるのね、すごい。y’s teaの紅茶は宇都宮の人がよく買ってきてくれるのだけどどれもとても美味しい。こうやって驚きもくれるし。

この前、医療従事者同士でおしゃべりしていて医薬分業からもう50年だよと言われて驚いた。私は大学院生のときにクリニックでアルバイトをしていたのだけどそこはまだ院内処方だった。「院外処方」が珍しくない今、「医薬分業」という言葉に重みを感じた。私は心理士でもあるけど精神分析家として開業している意識が強いので何かと分けられる以前に独自すぎる学問と実践に浸かっている。内実はいろんな学問領域のハイブリッドなんだけど業務を分けることはできない。昨日書いたフランス精神分析の本の執筆者のひとり、Pierre Fédida(1934-2002)は精神科医でも心理士でもなくドゥルーズの影響を受けて精神分析家になった人だけど「なる」という作業はどうしても大事。そういえば昨日、フランス精神分析でいう「境界例」はそれまでのパラダイムに変更を迫るものだったみたいなことを書いたけどピエール・フェディダは「いかにして精神分析から脱するのかではなく、いかにしてフロイト主義から脱するかという問題」と書いている。後半は点で強調されている。フロイトに還ること。「フロイト主義」から脱すること。フランス精神分析は本当に筋が通ってる。

「星の王子さま」で勉強しようとしたら「星の」は日本独自訳だった、ガーン、と書いたけどAntoine de Saint-Exupéryの”Le Petit Prince”はフランス語のテキストにも名言として引用されていたりする。たとえば

On ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux.

確かに。知ってるぞ。この作品がテキストとして使われるわけだ。でも私はとりあえず読む必要があるフランス語で勉強。隙間時間にやるから一文読んでおしまい、ということもあるけど一文に対してもあれこれ考えるので悪くないかな。今日もがんばりましょ。