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あれはなんだったんだろう コミュニケーション

お喋り、バッティングセンター、月曜日

よく話しよく笑った週末だった。大切な話もたくさんできてやっぱりこういう場が大切だね、と頷きあった。話している内容というより話すこと自体の大切さ。「普通」に言いたいことが言えるって当たり前ではないんだ、という感覚はポストコロナという感じもした。コロナ禍における「あれはなんだったんだろう」を相対化できる時期がきたのだろうか。まあしたくもないか。まるでなかったことにして進んでいく世界を前に置いてけぼりの感覚を維持している「あれはなんだったんだろう」状態のまま「人間って・・・」と考え続けるのは私の仕事でもあるし心身を守るすべでもある。「きっと今日もまた」と予想していたくせに傷ついたり衝撃を受けたりする体験に慣れることはないが慣れないことで維持されている自由や倫理だってあるだろう。違和感や不快感を対象まるごとなかったことにして平然と口にされる自由や倫理なんてそれこそ不快だけどそういうのに蝕まれながらもなかったことにだけはしないということも大切だろう。

久しぶりにバッティングセンターへいった。ゲーセン兼バッティングセンターだけどゲームをやりにここにくる人もいるのだろうか。バッティングの合間とか待ち時間にやる人の方が多そうというかゲーム台の前の椅子に人はいてもゲームをしている人はあまりいなかった。バッティングは二打席目はそこそこ当たったがなんかもう姿勢とかもろもろどんなだっけという感じだし腕がすぐに疲れてしまってそのあとやったストラックアウトなんてバウンドした球で2枚抜けただけだった。球技全般得意だったのなんてもう遠い昔のこと。身体がバキバキだ。そうでなくても加齢による身体の悩みは増えるばかり、と同時に同年代のみんなの共感と持ち寄られる情報の質は高まるばかり。不注意による怪我の多さとかはほとんど共感を得られなかったけど。バッティングセンターは自打球にさえ気をつければいい狭くてやることがシンプルな安全空間だから私には向いてる。常に運動不足だからまた行こう。東京は水曜から雨だって。雨の日でもバッティングセンターなら行けるね。時々こうしてバッティングセンター熱が高まると歴史とかも気になってきて「バッティングセンター 歴史」で検索してみた。やっぱり調べてる人っているんだねえ、何事も。『日本バッティングセンター考』(カルロス矢吹/双葉社)という本が見つかりましたよ。本紹介を読んで全国のバッティングセンターにいってみたくなった。今度旅に出るときは必ずその土地のバッティングセンターやそれっぽい娯楽施設をチェックしよう。これまでの旅を思い返しても田舎の3,4,5階くらいの総合スーパー的な施設のぽかーんとしたスペースに卓球台があったりしたもんな、そういえば。もちろん見つければやる。卓球もバッティングと同じで娯楽とトレーニングの境界が薄い気がする。たまにめちゃくちゃ上手い人が打ち合ってたりするもの、そういうスーパーの一角で。温泉卓球とかもそうね。

とか書いてるうちに月曜日、という言い方も変だけど休みはおしまい。「きっと今日もまた」という失望や絶望に沈んだとしてもいずれ回復できるようにこころの隙間を残しておけるといいですね、お互い。とりあえず今日をご無事に。