カテゴリー
精神分析

限りあること

また後出しジャンケンさんが上から目線でなにかいってる。夜中にも投影先を探し続けていたらしき方々のRTのせいで追ってもないのに目に入ってきた。当事者である彼らもまたこれをみるのだろうか。

特定の親子とか男女を「こういう人たちって大抵こう」みたいに語れるほどあなたはその関係を生きてきたのだろうかと言いたくなる。そこがどれだけ複雑で知れば知るほど外からは何もいうことができない世界か少なからず体験しておられると思うのだけど、と言いたくなる。体験していないとしても研究者としてはそういうことをとても弁えておられるようだからその知性と言語能力でかっこ付きでもいいから「想像力」を作り出してみては、ご自身の中に、と言いたくなる。安全な場所からの暴力については前にも書いた。

今も私たちと同じように大きな葛藤を抱えながら生きているペアにどんな課題があるとしても彼らも私たちも生きていかなければいけない。大勢の人に刃物をちらつかせるように言葉を使われては二人の間でなら考え直せたかもしれないものも別の何かにすり替わってしまうだろう。いつ代弁をお願いしたっけ。もちろん彼らにそんな「つもりはない」のだろう。「会えばいい人」なのだろう。

投影と行動化、自分で自分を抱えることができず素朴に素直に吐き出された言葉を「そのつもりなく」利用してしまうこと、私たちがよくやることだ。「あなたが言えないなら私が言ってあげる」と吐かれる言葉は大抵その人が言いたいことではないだろうか、と外からみれば思う。

あいつのせいでこうなった、と声を震わせ叫ぶように話す人と共にいる。これまでそれが当たり前だと思っていた。でもこう話してみればそうじゃなかった。子供の頃からあいつらのせいで自分は自分らしく生きることができなかった。なのにどうしてあいつらじゃなく自分がこんなところに時間とお金をかけなければいけないんだ、変わる必要があるのはあいつらだろう。

強い憤りに圧倒される。そうかもしれない。そうなのだろう。でもここにきたのはあなたでそう思ってしまう自分自身を変えたいといったのもあなたなんだ。いい悪いの話ではない。正解や間違いがあるわけでもない。確かに「あいつら」があなたにしてきたことはひどい、ひどすぎる。でも今、あなたがこれまでとは違う感じでそんなに怒っているのは「あいつら」を変えることはできないと実感したからではないか。それが何よりも辛いのではないか。悔しいだろう。苦しいだろう。だから今こうしてこれまでに感じたことのない憤りをあなたは感じていて私に対してもそれを向けている。

絶望と憤りを繰り返すうちに「もういい」という言葉が出てくる。順番でいけば彼らが先に死ぬだろう。私は死ぬまであいつらへのこの怒りに囚われていくのだろうか。そんなのはごめんだ。なんであいつらのために私がこんな辛い想いをして時間を割かなければいけないんだ。もういい。

そしてまた怒り出す。おさめようとしてはぶり返す暴力的なまでの衝動がかろうじて行動化しない形で私に向かって吐き出される。幼い頃からこれまでの体験がいくつもいくつもその時の実感を伴って私相手に繰り広げられる。二人でいるとき以外は決して体験できない激しい情緒に突き動かれその背後に広がる無力と空虚にものみこまれる。これはあなたの問題だ、ではない。これは今や私たちの問題だ。二人の問題だ。ようやく私たちは「あいつら」から自分たちを取り戻す。

これまで誰かと体験を共にしたことなんてなかった。暴力を振るわれずに言葉を吐き続けることなんてしたことがなかった。それが当たり前だと思っていた。だから私はこんな大人になってもまだどう話していいかわからない。私は子どもに戻ったような彼らの言葉を聞き続ける。あの饒舌はもうない。辿々しく曖昧にしか言葉を使えない、それでも以前よりはずっと安心した様子で話す彼らを観察しつづけ、ときどきなにかを伝える。

激しい痛みを体験している人を前にまずすべきは沈黙だ。彼らの言葉を聞き彼らをがんじがらめにしている糸の様子を調べるように論理的に言葉を使う。断ち切りたい関係ばかりではないだろう。断ち切れない関係ばかりでもあるだろう。関わることで生じる新たな傷に対しても注意を向ける。反復は常に生じる。そこで共にいる。それは外側から何かをいうことではない。自分も生身の人間として多くのものを引き受けていく。傷や痛みと関わるというのはそういうことだと私は思う。それができないのなら言葉ではなく物理的な援助やそれが有効に活用されるようにマネージメントを行うべきだろう。

それぞれに事情がある。状況はそれぞれだ。あなたのことを知りもしない人の言葉に振り回されずにいこう。時間と労力を割くべき対象ではない。あなたの時間も私の時間も限られている。共にいる時間はもっと限られている、物理的な意味では。共にいられるうちにできることをしていこう。「人から見たら」「みんなは」と言いたくなるだろうけど言ったところで、だ。

私もだいぶ白髪が増えた。苦労してるからだよ、と気遣ってくれる人もいるけど単にとしをとった。時間に限りがあることをだいぶはっきり認識できるようになった。今更だけど。だからこそなおさら地道に、と思う、今日も。