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読書

『分解する』(リディア・デイヴィス著、岸本佐知子訳)を読んだり。

外はまだ暗い。昨晩も西の空にきれいな月が出ていたみたい。毎日空を眺めているのに昨夜はなんだかぼんやりしたまま家に着いてしまったみたい。『ほとんど記憶のない女』(リディア・デイヴィス著、岸本佐知子訳、白水Uブックス)を思い浮かべる。昨日の朝も記憶のことを書きながら同じ本を思い浮かべていた。意識せずとも家に帰れるだけの記憶をいちいちありがたがって過ごしてはいないがいざそれが薄れてきたら毎日家にたどり着くたびに安堵したりするのだろうか。はじめて一人で学校から家に帰ってきたのはいつだろう。自分のことは覚えていない。ひどく寒い日は家が近くなると涙がでた。

学校が終わる時間になってそろそろあの辺かなと思いながら窓の外を何度もみる。まだかな。時間はなかなか経たない。少しずつ心配になる。大丈夫かしら。迎えにいこうか。でも今日はひとりで帰るのを楽しみに出ていったのだから。紅茶がすっかり冷めてしまった。いつもならそのまま飲んでしまうのに熱いのを入れ直す。また手をつけないまま冷ましてしまうだろう。落ち着こう落ち着こうと思いながらまた窓の外をみる。きた!胸をなでおろす。たまたま窓の外をみたら見つけたという感じで手をふると誇らしそうな恥ずかしそうな笑顔で小さな手を振り返し走り出す。あっという間に後ろ姿も小さくなる。玄関を開けて出迎えたいがそれも我慢。チャイムがなった。おかえり、よくひとりで帰ってこられたね。すごいすごい!

過去の記憶を頭の中で繰り返しているうちに電車を乗り過ごすこともある。昨日は移動の多い日だったがそんなことはなかった。立ち寄った本屋には短詩の素敵な本たちがたくさんあった。あまり時間がなかったので表紙だけ楽しく眺めながらざっと積まれている本を見渡す。あ、右手が届く範囲にリディア・デイヴィス『分解する』が立てかけられていた。すぐにレジへ。絶対に買う本というのは私は多くないが彼女のだけは読む。彼女の短編集はいろんな長さの短編が集められていて1ページにおさまる詩のような短編がとても好きだ。どの話にも小さな衝撃を感じるのは今回も同じだった。冒頭からまだ遠くない記憶が痛みとともに蘇った。それでも彼女が忍び込ませている第三者的な視点に冷静さを保ちつつ読み進めた。重たいけどそこに沈みこむのではなくドライさを維持しながら一定のリズムを感じる体験、彼女の作品を優先的に読むのはその感触に支えられているからかもしれない。

思い出したくないことほど思い出してしまう毎日に今日がこうして積み上がっていく。何をなしえることがなくても日々はそうやってすぎていく。空虚という言葉でそれをうめたとしてもそんなのはただの言葉に過ぎない、と切り捨てることなく沈みこむことで観察者としての自分にも気づく。今日も。今日も。とりあえず今日を。