曇り空。雨が降る前にオフィスにつきたい。鳥たちは時々しか鳴かない。もう出かけてしまったのかな。
今日から今年度の初回面接事例検討グループが始まる。アセスメントは大まかにいえば表象、身体、情動に向けられており、言葉と身体は北山修が辞典も出している心身両義的な(比喩的な)言葉への意識も大事。もちろん身体症状は器質的な異常の可能性にも注意を払う。そして情動は主に不安として現れると考え、それらがどのような言葉で話されるかもみる。例えば身体的な言葉であれば「胸が締め付けられるような」「おなかがずーんと重たくて」などである。私が臨床で感じてるのは、多くの人は「悲しい」「寂しい」など認知的なラベリングが難しいということ。精神分析過程において情動と表象の関係をみるときにはボッテラとかグリーンの論文が生きてくるけど初回面接では見えている部分と浮き上がりやすい部分でそうではない部分を推測してアセスメントしていて、浮き上がりやすい部分を浮き上がらせる技術が重要になる。その枠組みとして私が紹介してるのは日本の精神分析家の妙木先生が紹介している短期力動療法の知見であり、DAVANLOO-MALANの三角形の使用である、などの理論的背景をもとにグループで事例検討会を行う。今年度もがんばりましょう。
先日、変な夢を見た。入社式みたいな同じスーツを着た人がたくさん。なぜかお世話になっている先生方もそのスーツだった。立ち話をした。臨床心理士アイデンティティ卒業みたいな夢だったが、確かに私は一昨年、臨床心理士資格認定協会に研修制度の決定プロセスの議事録開示請求と署名運動を行ったところである程度の恩返しはしたかなという気はしている。地方の現状を知れたのはよかったし、それを全く知ろうとしない人たちが多いことも知れたし、トップダウンにならざるを得ないシステムしかない、というかシステムを構築する人材と環境がないとかの政治的なこともだいぶわかった。臨床心理士になって25年、私はわりと臨床心理士アイデンティティを確立するために真面目に学んできたと思う。多くの心理士の先生に学んだ。心理職だから経験する文化というのは必ずあるので心理士の先生に学ぶことが大事だという自覚もあった。様々な領域で臨床をすることも必要だと思ったし、地域での活動は必要とともに好きだった。そこで得た臨床上の学びも人間関係は引き続き私を支えてくれるわけだけどアイデンティティとしては今は精神分析家。アイデンティティという概念自体、再考が必要な時代だと思うが責任について考えながらやっていきたいと思う。
夢の中でも私は失敗していた。でもよく考えるとこれは失敗というよりなんで私こんなことやらされてるんだろうという類のことでは、など考えながら結局その失敗をリカバリーすることは選ばず道を引き返した、夢では。現実はどうなることやら。色々ギリギリのところで気づける人になりたい。行けるところまでは行きたいけど。どうぞよい一日を。