パッとしない空。光が差したようなあとはあるけど。どの方角の窓を開けても窓のほうに手を差し出せば風を感じるけどスーッとは入ってこない。
「北八ヶ岳ロープウェイ プレミアムコーヒー 深く濃いブレンド」をゆっくりゆっくり落としてりんごのお菓子といちごのお菓子と一緒にお盆にのせてパソコンの前へ。おなかの調子はずっと悪いので大好きないちじくは我慢。やっと買いやすい値段になってきたのに。お盆をテーブルに置いて座ろうとするとなにやら黒いものが。一瞬怯んだら見失った。そしたら今度は私の大事な「もりりんご」の上に!なんで私ではなくてそっちを吸おうとするのか全然わからない!と思って少し追いかけっこ。大きいがそんなに動きは早くない。なのに捕まらない。「もりりんご」をやられたショックに結構本当に呆然としつつ蚊取り線香に火をつけにキッチンへ戻る。ずっと昔から集めていた素敵なデザインのマッチ箱の中身はもう湿気っているからチャッカマンで。よくこんな名前をつけたものだ。うちもハンガーのこと「ハンガマン」とよんで歌もあるけど。自分につける虫除けスプレーはあるけどこの部屋に夜までゆっくりされても困る。蚊取り線香は喉をやられるからあまり使いたくないのだけどしかたない。エアコンつけたけどドアを開けたまま足元に置く。蚊取り線香を持って戻ってきてから見かけないのですでにこの部屋にはいないのかもしれない。それならそれでいいけどなんで私ではなく「もりりんご」を・・・。お菓子をとられた恨みは大きいぜよ。自分でもびっくりするくらい元気なくなった。胃腸の健康よりお菓子を優先しているというのに邪魔をするとは。もー!蚊め!「亀」って出たらどうしようと打ちながら一瞬思ったけど大丈夫だった。
そして音楽を聴きすぎて仕事が全くはかどらない。Cyndi Lauper ”Time After Time”なんて好きすぎて何回もきいてしまう、しかも歌詞をしっかりきいてしまう。まさにtime after timeなのだがこれはとても悲しい曲。シンディが当時付き合っていたマネージャーとの歌。こんな素敵な歌にできたんだからむしろ別れてよかったじゃん、と慰めた人もいたかもしれない。いないかもしれない。そんなことは誰にもわからないけど多くの人が共感できるからこそ今でも人気があるのはたしか。恋だけの話ではないが、だれかとの関係を表現するときどこをどう取り上げるかでまるで印象は変わってしまう。自分がどう表現したいかということに尽きる。意識的な目的は色々だろう。相手にこう思われたいとかとりあえず吐き出したいとか特定の相手にだけ伝わればいいとかこの部分だけは正確に伝えたいとかまるで逆のことにしておきたいとか。小説家でもなければ表現は大体ステレオイプで何度書き直しても結局「下書き保存」してばかりだったり書いているうちにアホらしくなって「こんなの書くくらいだったらこの曲きいてたほうがいいわ、こっちのほうがよっぽどしっくりくるわ(関西弁風に読んでください)」ということでシンディ聞いてしまうかもしれない。逆にどんな手垢にまみれた言葉だろうと自分で書いておくことに意味があると感じて書き続ける人もいるかもしれない。この曲だって歌詞はわりとよくある感じだから。でもこのメロディにこの韻をのせるのは最強という感じがする。どっと切なくなってしまう。一曲リピートで何度も何度も。
もうこんな時間だ。蚊め!ショックを受けてる時間が長すぎた。バカみたいだ、木曜日の朝。