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精神分析

冬至

今日は冬至。もっとも昼が短く夜が長い日。でもこれからが寒いのよね。とってもつらい。でもカボチャと柚子湯だよ。柚子いっぱいもらったから柚子だらけお風呂にしよう。この前散歩に行ったときも「ご自由にどうぞ」って道にゆずとカボス(すだちだったかも)が置いてあった。今、ゆずとかボスとか、って書いてしまった。ボスはいなかった。カボチャは一年中食べてる気がするけど大切にいただこう。みんなも冬を無事に乗り切れますように。

気持ちがゴタゴタで色々後手後手でもどうにかこうにかの日々だから(説明困難)instaでずーっと美味しそうなものとか素敵な写真とか世界中の美術館の作品とかを見ている。読まねばならないものは床を埋めていくばかり。まずは下からの冷気を吸い取ってもらっておりまする。今朝のTHE METはMerry Winter Solticeということで可愛いお花をリールにしてるよ。リールってこういうこというのね。冬枯れそのものもいいけどね。この前、昨日かな、画像だけ載せたけど枯れ枯れの枝に烏瓜がぷっくりぶら下がっているのをみたりするとマッチの灯とかクリスマスのオーナメントとかみたいでほっこりする。柿とかもう人生の終盤を考えさせるすごく渋い色で鳥につつかれてデロンって片側だけ落ちたりするのをみるのもよかった。鳥って嘴にデロンがついちゃたりして取れなくて気になるとかないのかしら。嘴がいくらとんがっててもどうしてもとれないとか剥がれないとかあるでしょ、きっと。あんな硬い部分には感覚器官がないか。

精神分析で部分というと口唇とか肛門とか特定の器官のこと。精神分析ではそれらが欲動という身体内部からの根源的なエネルギーを組織化していると考えるのでアセスメントは各器官にまつわる欲望のあり方をもとになされたりもする。例えば口唇だったらお母さんのおっぱい、つまり授乳をめぐるもろもろについて考える。もちろん「お母さんの」である必要はないし、実際の授乳場面の話ではなく患者個人がそれをどう体験しているかということ。おっぱいという部分の場合、それは単に生命維持のためではなく快ー不快と関わっていると理解する。その後も肛門期(サディズム期とも呼ばれるよ)、男根期、潜在期(性的活動が抑圧されている時期)、性器期、という性器をめぐって想定された欲動の発達段階において欲望のあり方やそれに対する実際の対象との関わりをみていく(フロイトはそれらが統合へ向かうと考えた)と人が自分と対象とどういう関係を持つか(自体愛から対象愛へなど)に関する理解が得られるという感じ。発達段階をあまり重要視しない分析家(学派というほど大きくないが著名な理論家でもある分析家)もいるし、自己をひとつと捉えるか複数と捉えるかで「統合」に関する考え方も異なるけど身体の発達と快不快の体験ってわりとスムーズに共有できる話だと思う。

あ、鳥の話をしていたんだった。というか別に何もテーマなど決めていなかった。鳥って本当に不思議がいっぱいでかわいくてとても好き。こんなお天気でもそこそこ元気そうだよ、鳴き声からすると。わからないけど。この前の散歩で野菜(主に白菜)のお墓みたいなところがあったので載せておこう。このまま土に還るのかしらね。私たちもいずれだね。先のことは誰にもわからないけどとりあえず今日から昼間が長くなりますよ。なんとか過ごしましょう。