本を読みながら歩いてくる小学生がいる。片時も目を離せないかのように、もうすっかりその世界に入っているかのように、すれ違ったことにさえ気づかずに(多分)そのままの姿勢で歩いていく。
うまく避けるものだな、あるいはこちらが避けているのか、人間の視野は広いんだか狭いんだかわからないからな、など思いながら私も歩き続ける。
大きなリュックを前に抱えて指で小さくトン、トンとしながらiPhoneを見ている人がいる。それは最近の私。iPhoneに入れたKindleで本を読んでいるのだ。そんな習慣なかったのに。いちいち老眼鏡を出すのもめんどくさいから歩きながら読むなんてことしなかったのに。不思議だ。なぜか。
ひとつはそうでもしないとなかなか本を読む時間がないということ。ただこれは私がなんでもかんでも読みたくなるからであって、むしろ早く読んでおしまいなさい、という本を落ち着いて読むべき、と毎日自分に注意しているけれどなかなかいうことを聞かない。
もうひとつはiPhoneを新しくして容量が増えたのでたくさん本を入れておけるようになったということ、本来メインで使おうと思っていたKindle paperwhiteよりも動作が早いということ、索引に載っていない自分的キーワードで検索したいときが多い私にとっては大変便利であるということ、そのままツイートもできるし(私のツイートは大体メモ置き場)何よりiPhoneの画面は小さくて(文字も大きめ設定)1ページに収まる文章が少ないということ。「もうひとつ」と書いたのに一気に書いてしまった。
あ、なぜ1ページに収まる文章が少ないとよいかというと英語で読むときは構文がわかりやすいし、没頭しすぎて轢かれたりぶつかったりすることもなく適度に外に注意を向けていられるから(もちろん意識的に注意もしている)。
デメリットについては以前すでに書いた。マルジナリアを使えないことと段落番号をどんどん振っていく作業がしにくいこと。
まあ、こんなことを書いている場合でもないのだが、今夜は数年前から続けているオンラインのフロイト読書会のアドバイザーをつとめる日でPC前に待機していたので、習慣って変わるんだな、と思い、もちろん他にもさまざまな要因が絡みあってのことだとは思うが、これからも変わるであろう習慣の記録として(というのは今思いついたことだけれど)なんとなくピン留め的に書いてみた。
参照
『マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻』(2020、山本貴光、本の雑誌社)