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精神分析、本

言語と身体あれこれ

いつからこんなんなっちゃったんだろう、といえば「もともと」となる。いまや人に言われる前に自分が答えるほうが早い。なんだか前はもう少しましだったような錯覚をしていたいのね、私は、きっと。と思えるようになっただけましかもしれない。

まあ、自分からこうしてことをややこしくしたいときはやりたくないけどやらねば(あるいは考えたくないけど考えねば)ならないことがたまっているときだ、私の場合。前にも書いたが自分で自分をごまかす技ならたぶんたくさんもっている。まったく自分のためにならないのに不思議なことだ。いや、損得で言ったら損かもしれないが、自分の気持ちがまいってしまわないためには必要な技だし、気持ちがまいらないことはかなり大切だ。精神分析でいえば防衛機制というやつ。

精神分析家の北山修は母と子の間でしか通じない言語を「二者言語」といい、第三者に分かる必要のある「三者言語」と区別した(『ピグル』まえがきとしてーウィニコットの創造性)。

社会学者で作家でもある岸政彦は又吉直樹との対談で「言語以前」「無意味に身体を肯定される瞬間」について話していた(ネット上で読めます)。

北山修は「二者言語」を「言語以前の言葉」ともいっているが、私はそこに「身体」を持ち出すこと、つまり乳幼児的であることを言葉ではなく身体で説明すること、そしてそれを肯定していくことに価値を見出す。もちろん精神分析はそれをやってきてはいるが、どうしても説明は言葉でなされるのでその身体の肯定の瞬間はなかなか伝わりづらいかもしれない。

自分の身体の輪郭は自分ではなかなかわかりづらい。鏡をみればわかると思うかもしれないが、ボディイメージこそ自分をごまかしたり裏切ったりするものであることは多くの人と共有できるだろう。私たちは思いこむ動物だ(あえて断定したい)。

赤ちゃんはしっかりと腕に抱かれるまでに時間がかかるときがある。泣き叫んだり、のけぞったり、ひっかくようにしがみついてきてこちらが思わずのけぞったりするときもある。なかなかの困難を伴うが、多くの場合、大人の苦闘によって彼らは徐々に腕におさまる。動きを止めたその子の身体は形や重さを明確に知らせてくれるだろう。まだとっても小さくて軽いんだ、この身体であらん限りの力でなにかいってたんだ、とこちらが我に返るときもある。

線と中身は同時に作り出される、私はいつもそう感じる。抱きかかえるまでのプロセスこそが輪郭をつくり、中身を伴わせる。そこには赤ちゃんとそれを抱きかかえる腕や胸とが溶け合うように、しかし区別された形で存在する。ウィニコットの言葉を思い出す、というかそもそもピグルのことを考えていたのでウィニコットの言葉発でこんなことをつらつら書いている。

ややこしい書き方になるのは、とまた繰り返したくなるが繰り返さずにやることをやらねば。

ちなみに北山修『錯覚と脱錯覚』は『ピグル』を読んだ方にはぜひ読んでいただきたい。名著だと思う。

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精神分析

初期不良

取り外しておいておいた自転車のライトが煌々とついていた。なぜ。誰も何もしていないはずなのに。なんで、と思って消そうとしたが消えない。ますますなんで?明るさと点滅で何パターンかに調整できる機能は正常。でもオンオフができない。勝手にオンされているだけでオフができない。よってオンもできない。長押しでできたはずなのに。しかもこれまだそんなに使っていない。

かなり明るいライトなのでついたりきえたりされるのは非常に困る。とりあえずみえないところにしまって仕事をした。

さっき時間ができたのでこれを購入した自転車屋さんへいったらお店の人も「あれ、ほんとだ」と消えないライトをいじり、「初期不良だと思うので」と新しいのに交換してくれた。

一応、購入時の領収書があるかときかれたから「あるかもしれないしないかもしれない」とほんとのことなんだけどえらく曖昧な返事をしてしまった。でもお店の人は落ち着いていた。今度は「購入時期ってわかりますか」ときかれた。「あー、このお店ができてちょっとした頃だったかと」とまたえらく曖昧なことをいてしまった。でも気持ちだけはなんとかできるだけ正確にこたえたいと焦っていた。そんなとき私は思い出した。そういえば私はここに自転車屋さんのことを書いた。慌てて過去にさかのぼる。

あった!「自転車と親子並行面接」という変な取り合わせの記事を書いていた。「2月18日頃!」といってから、ちょっと待てよ、この記事、自転車屋さんにいってからすぐに書いたのか?と思ったけど、忘れっぽい私がさかのぼって書くことは少ないからずれたとしても数日だろう。果たして果たして。あった。あっていた。「鍵と一緒に購入されました?」とPCから戻ってきた店員さんにきかれた。それも一瞬どうだったか、となったがそれはすぐに思い出した。「そうです!」ということでまだ新しい箱に入っているライトをいただいてきた。いい人だ。これは急についたり消えたりしませんように。そして、これを書いておくことでこの購入日も忘れませんように。

それにしてももうあれから8か月にもなるのか。もっと乗ってあげないとかわいそうだ、私の自転車、と思ったのに明るい時間にちょこっと乗るだけでたいして活躍の場を与えていない。持ち主として責任をもたねば。ライトももっと使ってればもっと早くになにか気づいたかもしれないものね。「初期不良」っていわれちゃったけど。なんかすまなかったね、と思ったのでした。