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精神分析

8月、ルンバ、我が家にいた犬

今週は1日1日が長い気がする。7月はあまり記憶に残らないほどあっさり過ぎてしまった。それにしても今朝は暑い。涼しい寝室から出るのが嫌で起きるのが遅くなってしまった。リビングの冷房が今強い風の音を立ててがんばってくれている。一度起きたときにつけておけばよかった。よく冷えた麦茶が美味しい。

とちょっと家事をしている間に部屋が冷えてきた。ありがとさん、冷房さん。思わず話しかけてしまう家電の代表といえばルンバだろう。ロボット掃除機ルンバ。私たちは「ロボット」というものはその姿形がどうであれ人の言葉を理解できる存在としてみなしているに違いない。いやそうでもないかもしれない。まあ何はともあれこの場合言葉が通じようが通じまいが関係ないのだ。「あらあらそっちにいくとぶつかっちゃうわよ、ほらいったでしょ、こっちこっち」といったところで別にこちらの言葉をきいて彼らが動いているわけではなく向こうの特性をキャッチしてるこちらが動きを予測して言葉を与えているだけなのだが噛み合っているようにみせることは可能だ。コントみたいなものだ。かな?犬に話しかけるのとはだいぶ違う。犬はかなり通じてしまう、らしい。我が家にいた犬は世の犬を飼う人たちがいうほど通じていなかった気がするが散歩に行く様子を嗅ぎ取るとよくわからない動きで興奮する姿は欲しいものを買ってもらえるときいて飛び跳ねる子供のようだった、気がする。私も犬と一緒に大きくなってきたから子供のようなものとかいうのはなんだか烏滸がましいが(そうなのか?)。だって我が家にいた犬(メスの方)はとっても高貴な感じがしたもの。オスのゴロウに対してもピシャッとやる時はやってたし彼犬が最初に子供を産んだときに近寄った私の手を思わず噛んでしまいすぐに申し訳なさそうにした顔も忘れられない。ごめんね、赤ちゃんいて気が張ってるところに、と私は泣いた。二人で泣いているような気分だった。赤ちゃんはいつも庭の見えないところで産みおとされ、なぜか母はいつもその場所をすぐに見つけ安全な場所に移動しみんなで子育てを見守った。子犬たちも本当に本当にかわいかったが彼らを産んだ彼犬が特別だった。

は、私は朝から何を書いているのか。我が家にいた犬のことを語り出すと止まらない。大変大変、準備何もしてない。

あっついよ。今週末はいろんなところでお祭りがある。明日はイベント。心理士(師)の人いっぱいきてねー、ハイブリッドだから涼しい場所で美味しくしながら。