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精神分析

月、蝉、鈴虫

満月を過ぎてから急に月の出が遅くなった気がする。そんなはずはないのだが夜オフィスを出て「月どこかな」と探すと「え、まだそこ?」みたいな低さに大きい月を見つけてびっくりした。その日から月探しが楽しく月を見つけると「お、今日ものぼってきたね」とほくそ笑んでしまう。毎日月と待ち合わせ。今日の月は寝待月。月南中時は3時21分だからみんな寝てるものね。寝て待て寝て待て。「果報は寝て待て」も月の満ち欠けと関係していたのかしら。空が明るくなってもまだ見えるだろう。ゆっくり休んでいて大丈夫。日曜日だもの。

南側の大きな窓をそっと開けて南の空高くに浮かぶ月を見上げる。帰り道にみた月よりずいぶん小さくてすっかり遠い存在になってしまったみたい。鈴虫だ。真っ暗になりきれない住宅街のどこかから響いてくる。秋か。日中ものすごい陽射しを浴びながら蝉の声を秋っぽく感じていた。さすがにこの炎天下、子供を遊ばせるのは危険、ということなのかいつもは週末子供とその親で詰め尽くされている広場は空いていた。芝生広場も熱すぎるのか寝転がる人もいなかった。水場は盛況のようだったが外から見えないようになっているので雰囲気だけ感じた。咲き終えた花々が剪定され少し寂しくなった花壇の間を歩きながら蝉の声に包まれた。見上げても姿は見えない。単体と集団では音量だけではなく聞こえ方も異なる気がするが全体の音量は落ちた気がした。数日前、朝の鱗雲に「うわ、秋?」と驚いてから暑い暑いいいながらもどこかで秋を感じてたし探してもいた。鈴虫って秋の季語だけど結構夏の間から鳴くんだよね、かき消されやすいだけで。

今日もいろんな人の声を聞こう。