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精神分析

季節はめぐる、「大人になる」

キッチンの小さな窓を開ける。網戸に雨粒。鈴虫が鳴いている。ルイボスティーを入れて塩レモンキャンディーを口に入れた。

昨日は新宿中央公園の亀もへばっていた、ように見えた。石にへばりついていたという意味でもへばっていたといえるかもしれないが亀は別にへばりついていたわけではないだろう。もっと余裕がある。ご存知だろうか、彼らの意外な軽やかさを。小亀たちはまだよちよちだが。暑すぎたせいか亀を眺められるベンチにはひとりしか座っていなかった。亀のすぐそばで長時間足を止めている外国語を話すグループが二つあった。見れば見るほど面白いからね、亀。多分どこの国にいても。

立秋だ。この前の鱗雲に秋を感じてしまったが本当にすぐそこにいたのだ。ここからも鈴虫が聞こえる気がするが除湿のモーター音の方が強い。

回復できない傷がどうであろうと季節はめぐる。残酷とか酷いとかいくらいったところで人間の都合で動いているものなんてほとんどないのだ、多分。無力だと分かっているのに生きていたら何かが起きてしまうから起きてもいないことまで想像したりしちゃうのだろう。シンプルに、ミニマムに、なんて無理だ。常に過剰。

ラジオから演歌が流れてきた。紅白でしか聞かないが聞くとうまいなあと思う。私はクラスで歌が下手な人と認識されていた程度に歌が下手(つまりかなり。合唱コンのせい。)なのだが先日数年ぶりに短時間カラオケにつきあった。小さい頃から失敗だらけの私は何かが下手であることをほとんど気にしないので(エアロビとかも。)気にせず歌った。おまけに記憶力もない。あれだけ口ずさんだaikoのカブトムシ。出だしを忘れるとは。助けてもらった。若い子の歌はほとんど知らなかったが本人のライブ映像が流れて歌とダンスのうまさにびっくり。ノリノリだった(古いか)、私が。下手でもなんでも音楽は身体にも心にもいい。先日立ち寄ったビルの踊り場で高校か大学の吹奏楽部かオーケストラ部が演奏をしていた。なんともいえないヘタウマさで大変好感をもった。弾けるだけすごいとか私レベルと比べているわけでは全くない。音楽には力があるのだ。もう中学生の子が保育園に入る前に熱唱していたアナ雪を思い出した。あれも素晴らしかった。

保育園で誰かが歌い出すとみんなが歌い出す。お隣のクラスの子も。まだ不明瞭な言葉で。全身の動きだけで歌っている子もいる。こういう姿に希望を見いだすことができないなら一体何に、という気さえする。

彼らはこんな社会で大人になっていかなくてはいけないのか。大変なことだ。これだけ子供のままでいられる社会でどうやって大人になれというのか。世代を繋ぐことを真剣に考える機会は減るばかりではないか。ただ「大人になる」ってなんだろう。私にとってそれはエディプスコンプレックスについて考えることだ。フロイトが近親姦と殺人という激しい言葉の世界を理論の中心に据えた意味を考える。

とりあえず動こう。やることやらねば。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生