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精神分析

日めくりとか思い出とか。

何十年もよく見える目できたのに何歳からだろう、老眼が始まってからは早かった。どんどん見えなくなる。本が読めないのは苦痛だがこれまでそれなりに読んできた本のこともほとんど覚えていないのだから少し不自由がある方が記憶のあり方だって変わるかもしれない。

「あみさんはいい目してるんですよ」と眼科医は大きい声と大きい目で私を見ていうが「いい目」ならなぜ見えないのだ、と聞くのは我慢して小さく愛想良くした。「疲れやすい目だから目薬出しておくね」と言われて薬局で目薬を出してもらった。すっかり忘れていた。今さした。目薬久しぶり。結膜下出血になりやすかったのでその時は忘れずにさしていた。疲れ目だけだと見える症状でもないから薬のことも忘れていた。

色々とLINEでやりとりをしながらごく簡単な書類作業を済ませた。このくらいなら私でも楽にできる。名前を書いて印鑑を押す、みたいな。

時計の電池を変えてもらわねば。自分でボタン電池を買えばいいのだがどこかへ出向くという労力という点では同じなので丁寧に仕事をしてくれる近所の時計屋さんに行きたい。色々教えてくれるのも楽しい。あちらからしたら「だったらすぐに電池変えにきてください」という感じだろうけど。だって置き時計ならいっぱいあるんだもん。だってじゃありません。・・・子供か。

先日、日めくりカレンダーを一気にめくった。

三密にならぬ輪が出来盆踊り 落合水尾 七十二侯:寒蟬鳴(ひぐらしなく)

「三密」という言葉もすでに遠いか。厚生労働省のサイトもなんとなく曖昧に思える。輪にも色々ある。

生身魂ひよこひよこ歩み給ひけり 細川加賀 季語は「生身魂(いきみたま)」

生きているなら歩いてきてくれよ。そうそう、そうやって。昨年亡くなった人の名前を先日恐山で叫ぼうと思ったが忘れた、というかどこでどうしたらいいのかわからなかった。お参りはしたけど。下北半島の人には恐山はとても身近で「死んだらお山(恐山)へ行く」と信じられていて先祖に会いにいく感覚があるとのこと。恐山はもっとおどろおどろしいところかと思ったら視界が閉ざされる場所がほとんどない岩場と湖だった。カラカラ回る風車が少し不気味で炎天下、湖の水際を歩くと硫黄のせいか砂と水が黄色く染まっていた。

敗戦日それからずつと敗戦日 堀田季何

1945年8月15日。私も敗戦日というな、この日のこと。今年は半藤一利を再読した。

人ゐても人ゐなくても赤とんぼ 深見けん二

赤とんぼはまだみてないな。浅虫温泉のある浅虫駅はとても穏やかな陸奥湾をいつまでも望める場所なのだけどお散歩していたらそばにもとんぼ地面にもとんぼ岩場にもとんぼ。全然逃げないからそばからもすぐ横からも真正面からも写真を撮らせてもらいました。今回の旅は浅虫温泉に行きたいというところから選んだのだけど下北半島素晴らしいところだった。その分、原発の問題が大きく感じられた。

旅のことを上司に話した。上司も40年前くらいに行ったということで当時の話とか縄文文化のこととか教えてくれた。旅に出ると一緒に行ったわけでもない人と同じ場所での体験を新鮮な語り口で聞けて楽しい。

さあ、慌ただしい毎日。昨年のこの頃の嫌なことも思い出すけどそれはまた別の場所で別の形にしよう。学ぶのだ、痛みからこそ。囚われながらも別の形へ。